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B29の話 [お仕事(父に聞いた戦後)]

3月10日(水)

亡父を含む東京大空襲を経験した人のB29の印象は「ともかくデカい」。

「空の要塞」といわれたB29は、全長30mで当時、世界最大の爆撃機。
日本海軍の一式陸上攻撃機が20mだから1.5倍ある。

ただし、「デカい」と感じたのには、もう1つ理由がある。
それまで、高度8500mから9500mmの精密爆撃をしていたB29が、3月10日以降の都市部焼夷弾攻撃では、1500m~3000の低空爆撃に切り替えたため。
つまり低く(近く)を飛んでくるので、余計に大きく見えたということ。
だから、爆音もすさまじかったとのこと。

しかし、これだけ低空での侵入だと、高高度では届かない日本の高射砲もたまには当たるようになる。
また、「屠龍」をはじめとする日本軍の防空戦闘機の迎撃も機能してくる。

実際、3月10日の大空襲では15機のB29が撃墜されている(アメリカ軍発表は14機喪失)。
とはいえ、325機の大爆撃隊なので、14機喪失でも、率にすれば4.3%で、「悔しいが、焼け石に水」だった。

ちなみに5月25日の山の手大空襲では、日本軍の迎撃はさらに激烈になり、498機の出撃で26機喪失(5.2%)となる。

父も、日本の迎撃機の体当たり攻撃で撃墜されるB29を目撃している。
「B29の胴体にパッと火がはじけ、少しの間は水平姿勢を保っていたが、そのうちぐらっと崩れて墜ちていった」そうだ。
機体が大きいから墜ちたら墜ちたで、地上は大変とのこと(墜落現場を見に行っている)。

「けっして、やられっぱなしではなかった」のだが、B29は「後から後から来る」わけで、ともかく「物量が違い過ぎた」という話だった。

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