密造焼酎の製造場所はどこか? [お仕事(父に聞いた戦後)]
2月28日(日)
戦後混乱期、焼け跡・闇市時代の新宿の医学生であった亡父は、たぶん1946年頃、密造焼酎の運び屋のアルバイトをやっていた。
その製造元である「大久保の朝鮮人部落」がどこなのか?
証言は「新大久保駅よりもっと先、高田馬場との間の線路際」。
戦後東京の朝鮮人集住地区についての論文などを参考に、旧・西大久保三丁目の西側(現:新宿区大久保三丁目)と推測。
ここで作られ、一升瓶に入れた密造焼酎を2本、背嚢(リュック)に入れて、新宿駅東口の闇市「和田組マーケット」まで運んでいた。
ちなみに、父は酒がまったく飲めない体質なので、密造酒の運び屋としては信頼されていたとのこと。
酒好きだと、途中で盗み飲みしてしまうので駄目なのだそうだ。
それと、学生という身分(見かけ)がカモフラージュになっていたようだ。
戦後混乱期、焼け跡・闇市時代の新宿の医学生であった亡父は、たぶん1946年頃、密造焼酎の運び屋のアルバイトをやっていた。
その製造元である「大久保の朝鮮人部落」がどこなのか?
証言は「新大久保駅よりもっと先、高田馬場との間の線路際」。
戦後東京の朝鮮人集住地区についての論文などを参考に、旧・西大久保三丁目の西側(現:新宿区大久保三丁目)と推測。
ここで作られ、一升瓶に入れた密造焼酎を2本、背嚢(リュック)に入れて、新宿駅東口の闇市「和田組マーケット」まで運んでいた。
ちなみに、父は酒がまったく飲めない体質なので、密造酒の運び屋としては信頼されていたとのこと。
酒好きだと、途中で盗み飲みしてしまうので駄目なのだそうだ。
それと、学生という身分(見かけ)がカモフラージュになっていたようだ。
2021-03-01 15:36
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0