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ザビエルは驚いたか? [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月31日(日)

某テレビ局から「フランシスコ・ザビエルが日本に来たとき、いちばん驚いたのは、当時の武将たちがBL(ボーイズラブ)していたこと、というのは本当か?」という問い合わせが来た。

それ、私の専門じゃないのだけど。

ザビエルが周防の大名・大内義隆に謁見(1550年11月)したときに「男色を行なう人間は豚よりも穢らわしく、犬やその他の道理を弁えない禽獣よりも下劣」と厳しく批判し、義隆の怒りをかったことは、ルイス・フロイスの『日本史』(1586年頃完成)に記されている

しかし、ザビエル自身のイエズス会宛書簡(1552年1月29日付)には、この男色批判の件は記されていない。

一次史料はなく間接史料に基づいていて、確実な史実とはいえない。

ただし、当時の日本の大名にとって、男色(ここでは大人の男性と少年の性愛)は通常的なもので、とりわけ大内義隆は男色好きだった(と伝えられる)。

また、キリスト教、とりわけ戒律に厳しいイエズス会士が、旧約聖書で明確に禁じられている男性間の性愛に対して、厳しい姿勢(絶対に容認できない悪徳)をとるのは当然のこと。
実際、イエズス会士による日本の男色批判は、他にも確実な事例がある。

つまり、状況的には、ザビエルが大内義隆の男色好みに驚き、強く諫めたことは十分にあり得る。
その結果、大内義隆が怒って、ザビエルが山口から退去した可能性はある。

その点は、ザビエルに同行したジョアン・フェルナンデスが「(ザビエルが)山口の王に対してはその罪を責むること激しく、生命の危険ありき」と話していること(1558年1月、ベルショール・ヌネスの書簡)が、伝聞だが傍証になる。

キリスト教関係者が、日本の中世末期~近世初頭の男色習俗に驚き批判している文献は他にもある。
たとえば、1579年(天正7)に来日したイタリア人宣教師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノは
「彼らはそれ(男色)を重大なことと考えていないから、若衆たちも関係のある相手もこれを誇りとし、公然と口にし、隠そうとはしない」(『日本巡察記』)
と批判している 。

また、1619年(元和5)来日の第8代オランダ商館長フランソワ・カロンも
「貴族の中には僧侶並に男色に汚れている者があるが、彼らはこれを罪とも恥ともしない」(『日本大王国志』)
と記している。

要は、キリスト教の性規範と、中世末期の日本の性規範(&性行動の現実)は、極端に違っていたので、「驚いた」のは当然ということ。

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