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井上章一国際日本文化研究センター所長の新任挨拶 [世相]

7月31日(金)

井上章一国際日本文化研究センター所長の新任挨拶。
内容、語り口、いかにも井上先生らしい。

井上先生が個人的に主宰する研究会に、ご縁があって参加して20年、師と仰いできた(と言うと叱られるので)、もとい、私淑してきたからこそ、今の私がある。

ちなみに、撮影場所は、日文研の円形図書室。
中央が吹き抜けで各階の周囲に円形にの書架が廻る。
ヨーロッパの修道院の図書館みたいで、みかけは素敵なのだが、収納力に乏しく、使い勝手もよくない。
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新所長の挨拶
    井上章一  2020年7月31日
井上章一.jpeg
この4月から、所長の勤めをひきつぐことになりました。よろしく、おねがいいたします。

若いころは、建築家になりたいと思っていました。大学と大学院は、工学部をでています。学生時代に人文系のトレーニングは、うけていません。あとから文転した口(くち)です。

そんな経歴のせいでしょう。今でも、日本文化のことは建築をとおして考えます。銀座の風景を例にあげます。想いうかべて下さい。街並みを構成するビル群は、それぞれ個性的にできています。色や形を隣接する建物にあわせようとしたビルは、ほとんどありません。そのため、私はいやおうなく考えるのです。現代日本は、建築家や地権者の自我を尊重する。全体の調和など歯牙にもかけない社会を、こしらえてきた、と。

日本人は集団主義的だと、よく言われます。和をもって尊しとする。場の気配にながされやすい。それが日本人語りの通り相場になっています。でも、建築を学んだ私は、まったく逆の構図を、想いうかべます。個を集団に埋没させやすいのは、むしろヨーロッパの街並みだ、と。

こういう指摘に、人文諸学の人たちは目を白黒させやすい。私に取り得があるとしたら、そんなところでしょうか。学問的な出自が、多くの日本文化研究者とはちがうんですね。それで、常套的な物の見方からは、ときはなたれているのだと、自負しています。日文研そのものも、異分野遭遇がもたらすズレをたのしめる場にしたいものですね。

私たちは、海外の日本研究者に、ささやかながら便宜をはかってきました。しかし、それを一方的な奉仕だとは、とらえていません。海のむこうからもたらされる報告は、しばしば私たちに衝撃をあたえます。そんな見方もあるのかと、大きな感銘をもらうことがあるのです。私たちの国際的な活動は、その新鮮さをもとめての振舞でもあるんですね。

海外との交流にかこつけて、自分を正当化するような文章になってしまいました。御容赦下さい。

https://newsletter.nichibun.ac.jp/messages/454/



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