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1950年代東京のエリア分け [性社会史研究(連れ込み旅館)]

5月5日(火・祝)

この3日ほど「東京『連れ込み旅館』広告データベース(1953~1957年)全385軒」の改訂・加筆作業をしていた。

このデータベースでは、東京を都心、城西、城南、城北、城東の5つのエリアに分けている。
それをどう分けるかは、以前、けっこう悩んだ末に「えい!、やあ!」という感じで気合で分けたのだけど、もう少し論理的にしないといけない。

どちらに入れたらいいか、微妙な所もある。
新宿は城西エリアなのだけど、四谷荒木町、牛込矢来町はどうしよう?といったような。
あるいは、品川は城南エリアに入れるか、都心エリアに入れるか?

結局、江戸時代の「ご朱引内」(江戸町奉行所の管轄範囲)を(東側以外)都心エリアにするのが、いちばん現実に合うように思う。

西は四谷大木戸まで(四谷荒木町、牛込矢来町は都心エリア)。
南は高輪大木戸まで(田町は都心エリア、品川は城南エリア)。
北は木戸がないのであいまいだが、本郷・小石川、浅草・下谷の範囲。
東は「ご朱引」とはずれるが大川(隅田川)まで。

つまり、都心エリアは千代田区(旧:麹町区・神田区)、中央区(旧:日本橋区、京橋区)、港区(旧:芝区、麻布区、赤坂区)、文京区(旧:本郷区、小石川区)、台東区(旧:浅草区、下谷区)、それに新宿区の一部(牛込区、四谷区の東側3分の2)。

この1950年代の都心エリアは、網の目のような都電の路線網、都電が走り回っていたの範囲に(とくに西と南は)ほぼ相当する。

で、今「都電と『連れ込み旅館』」というコラムを書き始めた。


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