『朝日新聞』夕刊「時代(とき)の栞」『仮面の告白』 [現代の性(同性愛・L/G/B/T)]
2月26日(水)
今日(26日)の『朝日新聞』夕刊「時代(とき)の栞」は、三島由紀夫『仮面の告白』(1949年)を糸口に「性的少数者の苦悩」と題して、過去から現代に至る性的少数者の在り様が記されています(岩井建樹記者)。
本文の取材対象は、
ゲイ雑誌『薔薇族』元・編集長の伊藤文学さん(87)
早稲田大学准教授(社会学)の森山至貴さん(37)
NPO法人ReBit代表理事の薬師実芳さん(30)
私は、本文に名前は出てきませんが、全体的な歴史認識の監修的な立場で関わりました。
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『朝日新聞』2020年2月26日夕刊
(時代の栞)「仮面の告白」(1949年刊・三島由紀夫)
性的少数者の苦悩
↑ 『仮面の告白』(新潮文庫) 三島由紀夫(1948年)
■強いられる「普通」、障壁は今も
人は生まれたときの身体の特徴によって男と女に分かれ、異性を愛するのが「普通」だ――。そんな価値観は性的少数者を抑えつけ、苦しめてきた。LGBTという言葉が知られるようになった今、その圧力は減ったのか。
戦後間もない1949(昭和24)年、同性に恋する少年を描いた三島由紀夫の『仮面の告白』が出版された。
主人公の「私」は三島と同じ25(大正14)年生まれ。幼少期に兵士の汗の匂いに強くひかれ、中学では粗野でたくましい年上の友人に恋し、裸を見たいと願う。自らの情動を「常規(じょうき)を逸した欲望」と考え「異様な不安」を感じる。
「70年代でも同性愛者は『精神病者』『変態』と世間も本人もとらえていた。まして主人公は戦前生まれ。孤独だったろう」。ゲイ雑誌「薔薇(ばら)族」元編集長、伊藤文学さん(87)は推し量る。
↑ 「薔薇族」を手にする元編集長の伊藤文学さん
江戸時代までの日本は異性装(男装・女装)や男色におおらかだったとされ、浮世絵や春画にも描かれた。
それが近代化の過程で変わっていく。西欧から性科学が入り、明治末期から大正期に同性愛や異性装は「変態性欲」とされ、病的な存在とみなされた。
そうした見方は戦後も続き、同性愛者は会員制の雑誌など目立たぬ形で交流した。だから71年に「薔薇族」が創刊され、書店に並んだのは画期的だった。文通欄は貴重な出会いの手段に。寄せられる手紙には同性を愛する困惑や罪悪感がつづられていた。
「ゲイの孤独を癒やした雑誌だった」と伊藤さん。90年代は月3万部をほぼ完売したが、2004年に廃刊した。「帰る家がなくなった気分だという声が届いたよ」
*
社会運動を通し、性的少数者は権利を勝ち取っていく。90年に世界保健機関(WHO)が精神疾患リストから同性愛を削除。04年には性同一性障害の人が手術などの条件下で戸籍の性別を変えられるように。15年には東京都渋谷区と世田谷区で同性パートナーシップ制度が始まった。
↑ 性的少数者が差別や偏見にさらされず、前向きに生きられる社会の実現を目指す「東京レインボープライド」のパレードに参加した人たち=2019年、東京・渋谷
25歳の男性は高校卒業後に上京。東京は自分と同じゲイが集まる場もあり、偏見も故郷より少なく感じる。気持ちが楽だ。
かつては孤独だった。『仮面の告白』の主人公は「まともな男」に生まれ変わろうと性的欲求を感じぬまま女性と交際するが、男性も中学生のとき、同じことをした。「普通でありたい、と。周囲から浮くのが嫌で隠さないといけなかった」
早稲田大学の森山至貴(のりたか)准教授(37)=社会学=は、性的少数者を「『普通』の性を生きろという圧力によって傷つく人々」と表現する。
例えば友人との恋愛話は異性愛が前提。書類の性別欄に男と女しかない。「結婚の年頃だね」と言われる――。「一つ一つの痛みは小さいかもしれない。でも積み重なると、とてもつらい」
ゲイに「手術しないの?」と聞いたり、「性的少数者はセンスがある」「かわいそう」と一方的なイメージを抱いたりする人もいる。森山さんは「性的少数者が生きやすい社会にするには、差別しないという『良心』だけでは不十分だ。最低限の知識は必要」と考える。
*
自らの性自認や性的指向を周囲に語る人は増えているが「リスクは今もある」。そう指摘するのは、学校や企業で性的少数者への理解啓発に取り組むNPO法人ReBitの薬師実芳(みか)代表理事(30)だ。
薬師さんは女性の体で生まれ、男性として生きるトランスジェンダー。学生時代、就職活動の面接でそう話すと、途中で打ち切られた。似た扱いを面接で受けたとの声は今なお届く。「理解する企業は増えているが、もう少し時間がかかる」
『仮面の告白』の「私」が生きた時代より、性的少数者は生きやすくはなった。だが、実現しない同性婚や就労差別など、社会のバリアーは残っている。(岩井建樹)
■本の内容
性的指向に苦悩する「私」が、生まれた1925年から、20代前半までを「告白」する物語。男性に性的欲求を感じていた「私」は大学生の時、「正常さの出現」を期待し交際中の女性と接吻(せっぷん)する。だが、何の快感も得られなかった。
■性的少数者に関わる国内の主な出来事
1949年 『仮面の告白』出版(河出書房)
50年代後半 「ゲイバー」が増え、ゲイブームに
71年 ゲイ雑誌「薔薇族」創刊
80年代 「ニューハーフ」流行
エイズが問題に。90年代にかけ、危機感を持ったゲイが社会運動の担い手に
94年 東京都府中青年の家が同性愛者団体の宿泊を拒んだのは違法として、東京地裁が都に賠償命令。二審も違法判断
国内初のレズビアン・ゲイ・パレード
98年 ガイドラインに沿った初の性別適合手術
2000年代 「オネエ」ブーム
04年 性同一性障害特例法施行。戸籍の性別変更が可能に
15年 渋谷区・世田谷区が「同性パートナーシップ制度」
同性愛者であることを勝手に広められた大学院生が転落死
18年 杉田水脈衆院議員が同性カップルを念頭に「生産性がない」と雑誌に寄稿
19年 同性婚を認めるよう求め一斉提訴
今日(26日)の『朝日新聞』夕刊「時代(とき)の栞」は、三島由紀夫『仮面の告白』(1949年)を糸口に「性的少数者の苦悩」と題して、過去から現代に至る性的少数者の在り様が記されています(岩井建樹記者)。
本文の取材対象は、
ゲイ雑誌『薔薇族』元・編集長の伊藤文学さん(87)
早稲田大学准教授(社会学)の森山至貴さん(37)
NPO法人ReBit代表理事の薬師実芳さん(30)
私は、本文に名前は出てきませんが、全体的な歴史認識の監修的な立場で関わりました。
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『朝日新聞』2020年2月26日夕刊
(時代の栞)「仮面の告白」(1949年刊・三島由紀夫)
性的少数者の苦悩
↑ 『仮面の告白』(新潮文庫) 三島由紀夫(1948年)
■強いられる「普通」、障壁は今も
人は生まれたときの身体の特徴によって男と女に分かれ、異性を愛するのが「普通」だ――。そんな価値観は性的少数者を抑えつけ、苦しめてきた。LGBTという言葉が知られるようになった今、その圧力は減ったのか。
戦後間もない1949(昭和24)年、同性に恋する少年を描いた三島由紀夫の『仮面の告白』が出版された。
主人公の「私」は三島と同じ25(大正14)年生まれ。幼少期に兵士の汗の匂いに強くひかれ、中学では粗野でたくましい年上の友人に恋し、裸を見たいと願う。自らの情動を「常規(じょうき)を逸した欲望」と考え「異様な不安」を感じる。
「70年代でも同性愛者は『精神病者』『変態』と世間も本人もとらえていた。まして主人公は戦前生まれ。孤独だったろう」。ゲイ雑誌「薔薇(ばら)族」元編集長、伊藤文学さん(87)は推し量る。
↑ 「薔薇族」を手にする元編集長の伊藤文学さん
江戸時代までの日本は異性装(男装・女装)や男色におおらかだったとされ、浮世絵や春画にも描かれた。
それが近代化の過程で変わっていく。西欧から性科学が入り、明治末期から大正期に同性愛や異性装は「変態性欲」とされ、病的な存在とみなされた。
そうした見方は戦後も続き、同性愛者は会員制の雑誌など目立たぬ形で交流した。だから71年に「薔薇族」が創刊され、書店に並んだのは画期的だった。文通欄は貴重な出会いの手段に。寄せられる手紙には同性を愛する困惑や罪悪感がつづられていた。
「ゲイの孤独を癒やした雑誌だった」と伊藤さん。90年代は月3万部をほぼ完売したが、2004年に廃刊した。「帰る家がなくなった気分だという声が届いたよ」
*
社会運動を通し、性的少数者は権利を勝ち取っていく。90年に世界保健機関(WHO)が精神疾患リストから同性愛を削除。04年には性同一性障害の人が手術などの条件下で戸籍の性別を変えられるように。15年には東京都渋谷区と世田谷区で同性パートナーシップ制度が始まった。
↑ 性的少数者が差別や偏見にさらされず、前向きに生きられる社会の実現を目指す「東京レインボープライド」のパレードに参加した人たち=2019年、東京・渋谷
25歳の男性は高校卒業後に上京。東京は自分と同じゲイが集まる場もあり、偏見も故郷より少なく感じる。気持ちが楽だ。
かつては孤独だった。『仮面の告白』の主人公は「まともな男」に生まれ変わろうと性的欲求を感じぬまま女性と交際するが、男性も中学生のとき、同じことをした。「普通でありたい、と。周囲から浮くのが嫌で隠さないといけなかった」
早稲田大学の森山至貴(のりたか)准教授(37)=社会学=は、性的少数者を「『普通』の性を生きろという圧力によって傷つく人々」と表現する。
例えば友人との恋愛話は異性愛が前提。書類の性別欄に男と女しかない。「結婚の年頃だね」と言われる――。「一つ一つの痛みは小さいかもしれない。でも積み重なると、とてもつらい」
ゲイに「手術しないの?」と聞いたり、「性的少数者はセンスがある」「かわいそう」と一方的なイメージを抱いたりする人もいる。森山さんは「性的少数者が生きやすい社会にするには、差別しないという『良心』だけでは不十分だ。最低限の知識は必要」と考える。
*
自らの性自認や性的指向を周囲に語る人は増えているが「リスクは今もある」。そう指摘するのは、学校や企業で性的少数者への理解啓発に取り組むNPO法人ReBitの薬師実芳(みか)代表理事(30)だ。
薬師さんは女性の体で生まれ、男性として生きるトランスジェンダー。学生時代、就職活動の面接でそう話すと、途中で打ち切られた。似た扱いを面接で受けたとの声は今なお届く。「理解する企業は増えているが、もう少し時間がかかる」
『仮面の告白』の「私」が生きた時代より、性的少数者は生きやすくはなった。だが、実現しない同性婚や就労差別など、社会のバリアーは残っている。(岩井建樹)
■本の内容
性的指向に苦悩する「私」が、生まれた1925年から、20代前半までを「告白」する物語。男性に性的欲求を感じていた「私」は大学生の時、「正常さの出現」を期待し交際中の女性と接吻(せっぷん)する。だが、何の快感も得られなかった。
■性的少数者に関わる国内の主な出来事
1949年 『仮面の告白』出版(河出書房)
50年代後半 「ゲイバー」が増え、ゲイブームに
71年 ゲイ雑誌「薔薇族」創刊
80年代 「ニューハーフ」流行
エイズが問題に。90年代にかけ、危機感を持ったゲイが社会運動の担い手に
94年 東京都府中青年の家が同性愛者団体の宿泊を拒んだのは違法として、東京地裁が都に賠償命令。二審も違法判断
国内初のレズビアン・ゲイ・パレード
98年 ガイドラインに沿った初の性別適合手術
2000年代 「オネエ」ブーム
04年 性同一性障害特例法施行。戸籍の性別変更が可能に
15年 渋谷区・世田谷区が「同性パートナーシップ制度」
同性愛者であることを勝手に広められた大学院生が転落死
18年 杉田水脈衆院議員が同性カップルを念頭に「生産性がない」と雑誌に寄稿
19年 同性婚を認めるよう求め一斉提訴
2020-02-27 00:56
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