ニューハーフ真里さんのトークから(その1) [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
2月25日(月)
真里さんは、大阪から上京して(1975年3月)入店した「ピープル」(六本木「スクェアビル」→赤坂)以外、ショーの固定メンバーには入らず、「遊軍」的なポジションだったようだ。
美貌でクレバーで、ダンス、トーク、音楽構成ができる「即戦力」だったので、各店で重宝されたらしい。
昨夜のトークで出てきただけでも、「ピープル」、「プティ・シャトー」(西麻布)、「ジョイ」(赤坂)、「ピーターパン」(新宿二丁目)、「マダムパパ」(新宿歌舞伎町)など1980年代の一流・有名ニューハーフ・ショーパブが並ぶ。
ただ、ママや先輩が言うことには絶対服従の体育会気質が強いニューハーフ世界で、嫌なことは嫌とはっきり言い、束縛を嫌う「自由な女」の真里さんは、一つの店に居続けにくかった面もあったようだ。
そうした姿勢と実力が、平成大不況期(1997年~)以降、同世代のニューハーフの多くが店の没落と運命を共にしていく中、生き延びて、64歳の今なお現役を続けられる力になったと思う。
画像は、「ピーターパン」(新宿二丁目、1983~88年)のショー。
撮影は1980年代中頃。
当時のカラーフィルムの感度では、室内で動きのあるダンスショーを撮るのは容易なことではなく、状態の良い写真は、あまり残っていない。
真里さんは、大阪から上京して(1975年3月)入店した「ピープル」(六本木「スクェアビル」→赤坂)以外、ショーの固定メンバーには入らず、「遊軍」的なポジションだったようだ。
美貌でクレバーで、ダンス、トーク、音楽構成ができる「即戦力」だったので、各店で重宝されたらしい。
昨夜のトークで出てきただけでも、「ピープル」、「プティ・シャトー」(西麻布)、「ジョイ」(赤坂)、「ピーターパン」(新宿二丁目)、「マダムパパ」(新宿歌舞伎町)など1980年代の一流・有名ニューハーフ・ショーパブが並ぶ。
ただ、ママや先輩が言うことには絶対服従の体育会気質が強いニューハーフ世界で、嫌なことは嫌とはっきり言い、束縛を嫌う「自由な女」の真里さんは、一つの店に居続けにくかった面もあったようだ。
そうした姿勢と実力が、平成大不況期(1997年~)以降、同世代のニューハーフの多くが店の没落と運命を共にしていく中、生き延びて、64歳の今なお現役を続けられる力になったと思う。
画像は、「ピーターパン」(新宿二丁目、1983~88年)のショー。
撮影は1980年代中頃。
当時のカラーフィルムの感度では、室内で動きのあるダンスショーを撮るのは容易なことではなく、状態の良い写真は、あまり残っていない。
2019-02-25 16:01
nice!(0)
コメント(3)
上から2枚目の中央 理羅ちゃん、その右横Betty、その横 お嬢ちゃんまりこ。 理羅ちゃんとBettyは一緒に働いていたから懐かしい。
by まおこ (2020-06-18 18:57)
まおこさん、ありがとうございます。
お名前がわかって、助かります。
まりこさんは「お嬢ちゃん」と呼ばれていたのですか?
by 三橋順子 (2020-06-19 04:27)
私らは お嬢ちゃんまりこって呼んでましたよ。
本人に聞いてみて(笑)
by まおこ (2020-07-24 22:13)