義父のこと [訃報・追悼]
7月30日(月)
今夕、94歳で亡くなった義父は、戦争末期の徴兵で、陸軍歩兵第21連隊(主力が南方に派遣された留守部隊)に編入され、島根県浜田市にいた。
1945年8月初、部隊の半分が広島市に移動。
そして、8月6日に投下された原子爆弾で大きな被害を受けた。
幸いにも、義父は浜田に残存した中隊に属していて、8月15日、無事に終戦を迎えることができた。
もし、広島に移動した中隊に属していたら、原爆で命を失っていた可能性が高い。
そうなっていたら、結婚して一人娘(家猫さん)が生まれることはなく、私は生涯のパートナーに出会うことはなかった。
人の生死は、けっこう偶然に左右される。
人の出会いは、いくつもの偶然が重なった結果なのだ。
それを「縁(えにし)」と言う。
今夕、94歳で亡くなった義父は、戦争末期の徴兵で、陸軍歩兵第21連隊(主力が南方に派遣された留守部隊)に編入され、島根県浜田市にいた。
1945年8月初、部隊の半分が広島市に移動。
そして、8月6日に投下された原子爆弾で大きな被害を受けた。
幸いにも、義父は浜田に残存した中隊に属していて、8月15日、無事に終戦を迎えることができた。
もし、広島に移動した中隊に属していたら、原爆で命を失っていた可能性が高い。
そうなっていたら、結婚して一人娘(家猫さん)が生まれることはなく、私は生涯のパートナーに出会うことはなかった。
人の生死は、けっこう偶然に左右される。
人の出会いは、いくつもの偶然が重なった結果なのだ。
それを「縁(えにし)」と言う。
2018-07-31 02:31
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