「発掘」成果いろいろ [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
6月11日(日)
(1)『朝日新聞』夕刊連載シリーズ「東京・新宿二丁目」
(2003年12月15日~20日、6回連載)
14年前の新宿二丁目のトピック。
松井玲子ママや、『薔薇族』編集長の伊藤文学さんの顔が見える。
二丁目「ゲイタウン」の景色はあまり変わっていない?
懐かしく思う人もいるのではないだろうか。
(2) ドラァグ・クイーン関係の記事2点
1つ目は、『週刊朝日』1999年7月16日号掲載の「ドラァグクイーン」という記事。
カラーグラビア3頁を使った豪華版で、マーガレット小倉さんを中心に紹介されている。
2つ目は、『週刊Spa!』2000年3月22日号掲載。
「マニアのカリスマを求めて」というコーナーが、ドラァグ・クイーンのマーガレット小倉さんを取り上げたもの。
17~18年前の記事。
マーガレットさんには、月曜~水曜に新宿二丁目の「オカマルト」に行けば会えるが、これらの記事を知っている(持っている)人はもう少ないと思う。
(3)「ナニワのニューハーフ」(奥田)菜津子さん
『週刊Spa!』1994年6月29日号の「Naniwa Girls」コーナーで紹介された(奥田)菜津子さん。
当時は北新地のクラブ「O-P-A」に在籍。
1993~1994年に盛り上がった「ナニワのニューハーフ」ブームの担い手の1人。
いかにもニューハーフらしい華のある容姿で、私のあこがれだった。
2000年代になって大阪の某バーのカウンターで1度だけ同席して、ご挨拶した。
変わらぬ美貌に目眩がした記憶がある。
(4)銀座ホステス 光岡優さん
実は、今回の「発掘調査」で探していた記事がこれ。
『週刊アサヒ芸能』1985年2月14日号掲載の「悲願10年女を超えた『銀座の玉三郎』」。という記事。
1980年代中頃、「11PM」(日本テレビ系)などの深夜番組にときどき出演していた銀座八丁目のクラブ「パトウ」のホステス、光岡優(みつおか ゆう)さんを紹介したグラビア。
光岡さんは、1956年生まれ、明治大学出身で、1977年、モロッコでGeorges Burou博士の執刀で「性転換手術」を受けた。
この記事の直後1985年2月に「女形」という歌をキングレコードから出している。
当時の銀座ホステスらしく、着物のセンスが良く、着姿も美しい方で、やはり私のあこがれだった。
私と同世代だが、今はどうされているのだろう?
(5)矢木沢まりさんの画像
1988年10月、お昼の人気番組「タモリの笑っていいとも」(フジテレビ系)のコーナーとして「Mr.レディの輪」が設けられ、翌1989年にかけて20数名の「ニューハーフ」が登場する。
それまで夜の世界の存在だったニューハーフが昼の「お茶の間」に進出し、1989年には「Mr.レディ」ブーム現象となる。
その「Mr.レディの輪」の第1号として注目されたのが、六本木のニューハーフ矢木沢まり。
彼女は、これをきかっけとなって、映画『Mr.レディ 夜明けのシンデレラ』(東宝、1990年1月)の「ヒロイン」(準主役)に抜擢される。
今まで映画のビデオ・レーベルしか画像化してなかったので、画像を追加。
↑「笑っていいとも」に出演した直後、当時は、西麻布「プティ・シャトー」に所属。
(『FLASH』1988年12月13日号)
↑ 映画『Mr.レディ 夜明けのシンデレラ』の制作発表の記事。
(『FRIDAY』1989年7月21日号)
↑ 映画、封切り間近の頃。
(『FLASH』1989年12月12日号)
↑ ダンスで鍛えた見事な脚線美。
(『FLASH』1989年12月12日号)
(1)『朝日新聞』夕刊連載シリーズ「東京・新宿二丁目」
(2003年12月15日~20日、6回連載)
14年前の新宿二丁目のトピック。
松井玲子ママや、『薔薇族』編集長の伊藤文学さんの顔が見える。
二丁目「ゲイタウン」の景色はあまり変わっていない?
懐かしく思う人もいるのではないだろうか。
(2) ドラァグ・クイーン関係の記事2点
1つ目は、『週刊朝日』1999年7月16日号掲載の「ドラァグクイーン」という記事。
カラーグラビア3頁を使った豪華版で、マーガレット小倉さんを中心に紹介されている。
2つ目は、『週刊Spa!』2000年3月22日号掲載。
「マニアのカリスマを求めて」というコーナーが、ドラァグ・クイーンのマーガレット小倉さんを取り上げたもの。
17~18年前の記事。
マーガレットさんには、月曜~水曜に新宿二丁目の「オカマルト」に行けば会えるが、これらの記事を知っている(持っている)人はもう少ないと思う。
(3)「ナニワのニューハーフ」(奥田)菜津子さん
『週刊Spa!』1994年6月29日号の「Naniwa Girls」コーナーで紹介された(奥田)菜津子さん。
当時は北新地のクラブ「O-P-A」に在籍。
1993~1994年に盛り上がった「ナニワのニューハーフ」ブームの担い手の1人。
いかにもニューハーフらしい華のある容姿で、私のあこがれだった。
2000年代になって大阪の某バーのカウンターで1度だけ同席して、ご挨拶した。
変わらぬ美貌に目眩がした記憶がある。
(4)銀座ホステス 光岡優さん
実は、今回の「発掘調査」で探していた記事がこれ。
『週刊アサヒ芸能』1985年2月14日号掲載の「悲願10年女を超えた『銀座の玉三郎』」。という記事。
1980年代中頃、「11PM」(日本テレビ系)などの深夜番組にときどき出演していた銀座八丁目のクラブ「パトウ」のホステス、光岡優(みつおか ゆう)さんを紹介したグラビア。
光岡さんは、1956年生まれ、明治大学出身で、1977年、モロッコでGeorges Burou博士の執刀で「性転換手術」を受けた。
この記事の直後1985年2月に「女形」という歌をキングレコードから出している。
当時の銀座ホステスらしく、着物のセンスが良く、着姿も美しい方で、やはり私のあこがれだった。
私と同世代だが、今はどうされているのだろう?
(5)矢木沢まりさんの画像
1988年10月、お昼の人気番組「タモリの笑っていいとも」(フジテレビ系)のコーナーとして「Mr.レディの輪」が設けられ、翌1989年にかけて20数名の「ニューハーフ」が登場する。
それまで夜の世界の存在だったニューハーフが昼の「お茶の間」に進出し、1989年には「Mr.レディ」ブーム現象となる。
その「Mr.レディの輪」の第1号として注目されたのが、六本木のニューハーフ矢木沢まり。
彼女は、これをきかっけとなって、映画『Mr.レディ 夜明けのシンデレラ』(東宝、1990年1月)の「ヒロイン」(準主役)に抜擢される。
今まで映画のビデオ・レーベルしか画像化してなかったので、画像を追加。
↑「笑っていいとも」に出演した直後、当時は、西麻布「プティ・シャトー」に所属。
(『FLASH』1988年12月13日号)
↑ 映画『Mr.レディ 夜明けのシンデレラ』の制作発表の記事。
(『FRIDAY』1989年7月21日号)
↑ 映画、封切り間近の頃。
(『FLASH』1989年12月12日号)
↑ ダンスで鍛えた見事な脚線美。
(『FLASH』1989年12月12日号)
2017-06-12 09:13
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