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『AERA』初取材の思い出(1997年12月) [日常(思い出)]

6月5日(月)

『AERA』(朝日新聞社)の取材を最初に受けたのは、1997年12月22日号の「ズボンを捨て街へ出よう -女装で広がる『もう一人の私』の世界-」だった。

まず、昼間、冬枯れの代々木公園で和装で撮影。
971206 (2).jpg
その後、洋装(シースルーのワンピース)に着替えて夜の新宿で寒さに耐えながら撮影。
971206-3.jpg
(1997年12月7日撮影)

なのに、どちらの写真も「没」だった。
「もう一人の私」という題名も、私のコピーのそのままパクリ。

ほんと、ひどい扱いだった。
朝日新聞社のエリート記者からしたら、新宿の女装者なんて「下賤の者」で、まともな気遣いをする必要もなかったのだと思う。

今だったら「これだけ協力してその扱いはないだろう!」と激怒すると思うが、当時はこちらも「まあ、無料で写真撮ってもらったからいいか」という感じで、あまり腹も立てなかった。

それからもう20年の歳月が流れたのか・・・。
つくづく、世の中、変わるものだと思う。

よく生き残ったものだなぁ、私。



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真樹猫ちゃん

20年前なのですにゃ・・・
あの頃の新宿は怪人やら猫サライやら、怪しいもの
が出没していたと故老より聞いておりみゃす・・・。

>ほんと、ひどい扱いだった。
その手のものは「院の北面の者じゃ」とか
「これが甲州金じゃ、ホレ」などとちょっと
つつくと態度が豹変しますにゃ。

by 真樹猫ちゃん (2017-06-08 23:02) 

三橋順子

真樹大姉様、いらっしゃいま~せ。

そうでしたね、新宿から怪人やら猫サライがいなくなったのは、大姉様のお姿が新宿から消えたのと、同じ頃だったような・・・。
by 三橋順子 (2017-06-16 12:16) 

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