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私は戦ってきたのだろうか? [日常]

7月20日(月・祝)

昨夜、某男性同性愛研究者の方に「三橋さんは、どうしてそんなに長い間、戦い続けられるのですか?」と質問された。
ちょっと意表を突かれた。

なぜなら「戦い続けてきた」という自覚が乏しかったからだ。
自分が少しでも生きやすくなるよう、自分なりに努力してきた自覚はあるが、それだけのように思う。

ただ、曲がりなりにも、もの書いたりしゃべったりする仕事をしているので、自分が「それは筋が違う」と思ったことは、そういう場で表明してきた。
そうすると、私と立場を異にする人たちとは意見を戦わせることになる。
そういう意味では戦ってきたのかなぁ、とも思う。

ただし、それは意見の相違であって、対立する立場の方を敵と思ったことはない。
たとえばGID特例法の制定の際には山本蘭さんとはずいぶん遣り合ったが敵と思ったことはない。
むしろ、1つのことに真剣に立ち向かった「戦友」だと思っている。

しかし、それは私の側がそう思うのであって、相手からしたら、私は敵だったのだろうと思う。
たとえば「全GIDの敵」と言われたことがある。

そう言われると、負けず嫌いの私は「よし、じゃあ、徹底的に戦ってやろうか」と思ってしまう。
しかし、それはGIDという枠組み(システム)と徹底的に戦うということであって、GID当事者と戦うつもりはさらさらない。

あるいは「トランス世界の最底辺」と評価されれば、やはり負けず嫌いが頭をもたげて「じゃあ、行けるところまで行ってやろう」と思ってしまう。

そう考えると、いろいろ叩かれてきたことへの反発心が私の「長い戦い」のエネルギーになっているのかもしれない。
だとしたら、私を叩いてきた方たちにお礼を言わないといけないな、と思う。

まあ、こういう性格だから、たぶん体力・気力が続く限り「戦い」は続くだろう。
「業が深い」と言われればその通りだが、変に悟って「成仏」するより、生きる張り合いがある人生なのではないだろうか。


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コメント 2

さかえ

三橋先生は戦ってらっしゃると感じております。あたらしい(人が見て見ぬ振りをする)価値観を提示することを指して『戦う』と表現する、そんなイメージです。
私のように先生の歩いた轍を意識して生活している者がいることからもそう感じます。
20年近く前、大学生の頃「ニューハーフ倶楽部」の先生のコラムを読ませていただいていました。半年ほど前に検索したところこのブログと出会い、それ以来日々楽しみに読ませていただいてます。
当時から先生が書いてらっしゃったことに強い共感を覚えていました。
私は、フルタイムとパートタイム?の間くらいの女装率で生活している者です。
これからも先生の活躍、楽しみに読ませていただきます。
by さかえ (2015-07-22 17:47) 

いずみ

先生が日記に書いていらっしゃること、Youtubeに出していらっしゃることを片っ端から拝見しています。

わたし自身と社会の側の性について、もやもやっとしてわからないこと、どうしてこの苦しみがあるんだろうということなどを明確に言葉にしてわかりやすく説明していただいて感謝しています。

明治大学の学生さんの印象に近いものを感じています。

同じ歳ですが、先生は遥か前のほうでトランスジェンダーとして戦っていらっしゃいます

わたしはず~っと後ろのほうからそ~~っとくっついています
by いずみ (2015-07-23 22:08) 

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