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「GID学会第17回研究大会」(大阪府立大学)2日目・基調講演「性別越境現象」 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

「GID学会第17回研究大会」(大阪府立大学)2日目(3月22日)の基調講演「性別越境現象」の記録です。

事前に原稿を執筆して、それに基づいてお話したので、内容・言い回し・画像もほぼこの通りです。
当日、いろいろな事情で聴いていただけなかった方の、ご参考になれば幸いです。

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GID学会第17回研究大会   2015年3月21・22日:大阪府立大学
    基調講演 「性別越境現象」              
     社会・文化史研究者(明治大学非常勤講師) 
               三橋 順子(みつはし じゅんこ)

皆さん、おはようございます。ご紹介いただきました三橋順子です。
まさか、こんな日が来るとは思ってもいませんでした。
私は今や数少なくなった第1回研究大会からの連続出席者ですが、トランスジェンダーの研究者という立場から、一貫して「性同一性障害」という精神疾患概念に批判的な立場を取ってまいりました。
私の主張を一言で申せば「性別を越えて生きることは『病』ではない」ということです。
そんな私が基調講演をする。
国会にたとえれば、共産党が施政方針演説に立つようなものです。
しかも頭の上の大会テーマには「トランスジェンダー」という文字が大きく記されています。
世の中、変われば変るものだなぁ、この学会もようやく世界の流れと歩調を合わすようになったのだなぁと、まことに感慨深いものがあります。
まあ、今年だけかもしれませんが。

前口上はこのくらいにいたしまして、私のお話の題目は「性別越境現象」です。
敢えて「トランスジェンダー現象」としなかったのは、トランスジェンダーにトランスセクシュアルは含まれる、含まれないのような、不毛な論議を回避するためです。
性別越境現象といっても、その有り様は様々で、一時的な「パートタイム」の性別越境現象もありますが、今日は、現代でいうところの「フルタイム」の性別越境者を中心にお話しいたします。

さて、いきなり人骨の画像ですが、これは、鹿児島県種子島の広田遺跡という弥生時代末期、だいたい3世紀頃の遺跡から出土したものです。
双性の巫人(広田遺跡).jpg
↑  鹿児島県種子島広田遺跡(弥生時代末期)の「双性の巫人」

シャーマンと推測される複数の女性人骨の中に、ただ1体だけ、やや華奢ではありますが男性人骨が混じっていました。
しかも、女性人骨に比べても、いちばん多くの貝製装飾品を身にまとっていました。
調査をされた東シナ海考古学の権威国分直一教授は、この人骨を女性シャーマンと同じような、いや、さらに装飾過剰な姿で神と人とを媒介した「双性の巫人」、ダブル・ジェンダーのシャーマンと考えました。

次の写真は、南米ベネズエラのジャングルに住む、現代文明があまり届いていない部族で、男性として生まれながら女性の姿で暮らしている人です。
男性と女性の2つの心をもつとされ、英語で「Two Spirits」と呼ばれています。
Two Spirits in the Venezuelan Jungle2.jpg Two Spirits in the Venezuelan Jungle1.jpg 
↑ ベネズエラの「Two Spirits」

このように古代国家が成立する前の日本、あるいは現代でも文明が十分に届いていない地域に、性別を越えて生きる人々がいる、あるいはダブル・ジェンダー的な存在があるということは、そうした性別越境現象が、人類の歩みの中できわめて古い、そして普遍的な現象であることを示していると思います。

さて、おそらく人類のどの時代、どの地域にも、ほぼ一定の割合で、普遍的に存在したと思われる性別越境者を、社会の中でどのように認識し、社会の中に位置づけるかは「文化」の問題であって、社会によって、その扱いは大きく異なります。

その形態は大きく分けて2つあります
一つは、かってのユダヤ-キリスト教文化圏のように性別越境者の存在を認めない、社会的に抹殺してしまう社会です。
『旧約聖書』「申命記」第22章5節には、「女は男の着物を着てはならない。また男は女の着物を着てはならない。あなたの神、主はそのような事をする者を忌みきらわれるからである」と異性装の禁忌が明記されています。
これを破れば背教行為として罪に問われるわけです。

たとえば、15世紀、百年戦争で英雄的な活躍をしたフランスの少女ジャンヌ・ダルクは、異端審問の末、男装が大きな理由になり、神の教えに背く者として火あぶりの刑に処せられました。
ジャンヌ・ダルク.jpg
↑ ジャンヌ・ダルク(1412~1431年:フランス)

もう一つは、性別越境者に特定の職能を与えることで、その存在を認める社会です。
こうした形態は、前近代においてはキリスト文明圏以外の世界各地に見られました。
特定の職能とは宗教的職能を基本として、そこから派生した芸能的職能、飲食接客的職能、性的サービス的職能(セックスワーク)、男女の仲介者・女性の相談役的職能などです。
前近代の日本もそうした社会でした。日本の伝統的な宗教である神道・仏教には異性装を禁じる宗教規範はありません。
中世の寺院社会では少女のように美しく装った少年、稚児はアイドル的存在でした。
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↑ 女院の行幸を見物する女装の稚児 (鎌倉時代『石山寺縁起絵巻』)

異性装、とりわけ女装をともなう祭礼は、今でも各地に残っています。
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↑ 神奈川県横浜市戸塚区 八坂神社の「お札撒き」
 
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↑ 神奈川県川崎市 若宮八幡(金山神社)の「かなまら祭り」
 
寺院の稚児は、人生の一時期、成人する前の十代限定の性別越境ですが、年齢を重ねても女装で過ごす人がいたようです。

この画像は、平安時代の末に描かれた『年中行事絵巻』の一場面で、小さな神社の境内で人々が鶏を持ち寄って闘わせる闘鶏を楽しんでいます。
年中行事絵巻(闘鶏) (3).jpg
↑ 『年中行事絵巻(闘鶏)』(平安時代末期・12世紀)

境内には巫女の家があり、身分のありそうな女性が訪れています。
黄色の衣の巫女が鼓を打って神を下ろし、左後ろにある盛砂を高坏に撒いて占うのでしょう。
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↑ 境内にある巫女の家。

でも、よく見ると巫女と思われた人の鼻の下に髭があり女装の男性であることがわかります。
そういえば、身体つきも大柄な気がします。
私は、この人を平安時代のマツコさんと呼んでいます。
 
こちらは、鎌倉時代から室町時代にかけて作られた「職人歌合絵巻」に描かれた「持者」という職能の人です。
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↑ 『鶴岡放生会職人歌合絵巻』(1261年)の「持者」 
持者(『七十一番職人歌合』) (2).jpg
↑ 『七十一番職人歌合絵巻』(1500年)の「持者」

「仮は乙女子」「女のまねかた」など、フェイクの女だよ、とカミングアウトしている歌の内容から、女性ではなく女装の男性であることがわかります。
職能についてはやはり占いや悪霊祓いなど宗教的なものと思われます。

こうした性別越境者に対して、一般人から向けられる視線は「聖視」と「賤視」が複雑に絡まったものだったと推測されますが、なにより大事なことは、性別越境者が、社会から抹殺さてしまうのではなく、社会的存在だったということです。

少し先を急ぎましょう。
次の図は、江戸時代中期、1700年代後半、錦絵の大成者である鈴木春信の、俗に「江戸三美人」図と呼ばれる作品です。
鈴木春信「江戸三美人」3.jpg
↑ 鈴木春信 「江戸三美人」図(江戸時代中期・18世紀後半)

左側の緑色の着物が柳屋お藤、右側が笠森お仙という、いずれも当時の江戸で評判の美人町娘です。
その生得的な女性2人を左右に従えて、中央に立つのは、二世瀬川菊之丞、当代ナンバーワンの女形です。
江戸時代の歌舞伎の女形は、現在とは違って「平生(へいせい)を、女にて暮らす」、日常から女性として暮らすフルタイムの性別越境者でした。
ですから、この「江戸三美人」図は、AKB48のセンターにMtFが立つようなものなのです。
そして、こうした絵を鑑賞する側にも、性別越境者である女形と生得的な女性を並べて、三美人とする感覚があったということです。
そのあたり、現代、あるいは、欧米諸国とはまったく違う感覚だと思います。

それが明治時代になると、状況がガラッと変わってきます。
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↑ 『大阪錦絵新話』5号(1873~75)

この錦絵新聞、巡査に女性が捕まっていて、通りがかりの人が「何して捕まったのかしらね」という感じでひそひそ話をしています。
この人、別に盗みなどをやったわけではなく、ただ男性でありながら女装して暮らしていただけなのです。
なんで捕まったかというと、明治5~6年、1872~73年にかけて制定された「違式詿違条例」という、今の軽犯罪法の祖先みたいな法律の中に異性装禁止条項があって、だいたい明治6年から14年まで、女装・男装は犯罪でした。
つまり、文明開化は、性別越境者にとって抑圧の始まりだったのです。

こうして明治から大正期にかけて、性別越境者たちは社会の表面から姿を消し、アンダーグラウンド化していきます。
   
抑圧が強まった時代に、性別越境者が生きていくすべはきわめて限られてしまいました。
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↑ 曾我廼家桃蝶(1930年代) 
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↑(右)塩原温泉・清ちゃん(1936年)

美貌と演技力を生かして新派の女形、三味線や唄が抜群に上手なら女装の芸者という道は細々ですが残っていましたが、そういう才能を持つ人は多くありません。
結局、生きるすべは女装男娼、セックスワークということになります。
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↑ 美貌の女装男娼「福島ゆみ子」(1937年) 

この人は福島ゆみ子と名乗った人で、銀座で私服警官に誘いをかけてしまい、いわゆる「密売淫」、無許可売春の罪で逮捕されました。
ところが、築地署に連れていかれて取り調べたら、男性だということが判明します。
現在の「売春防止法」もそうなのですが、戦前の売春関係法規も、売春の主体は女性であるという前提で法律ができているので、男性だとわかった途端に、罪状が消えてしまうのです。
だから、彼女も余裕の表情で、新聞記者にポーズを取っているわけです。
キャプションのとおり「男ナンテ甘いわ」です。

さて、ここまで前近代において性別越境者に特定の職能を与えて、社会的存在として許容してきた社会のひとつである日本の性別越境者を見てきました。
では、性別越境者の存在を許容しないキリスト教社会、ヨーロッパの状況はどうでしょうか。
ヨーロッパでは、19世紀後半になると、性別越境者や同性愛者を神に背く宗教犯罪者として処罰するのはいかがなものか、病者、精神病者として病理化して、治療・保護の対象としたほうがいいのではないかという考え方が出てきます。
治療・保護といっても、実際は精神病院に閉じ込めておくわけですが、それでも死刑にされるよりはマシというものです。
 
そうした流れを体系化したのが、皆さん、ご存じのドイツの犯罪精神医学者リヒャルト・フォン・クラフト=エビングです。
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↑ リヒャルト・フォン・クラフト=エビング夫妻

彼は『性的精神病質』(1886)という本で非典型な性をもつ人たちを「色情狂」と「同性間性慾」を二本柱とする「変態性欲」という概念で病理化しました。
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↑ クラフト・エビング『色情狂編』(1894年=明治27)
 
エビングの学問は、明治後期から大正初期(1890年代から1910年代)にかけて、日本にも輸入されます。
羽太・澤田『変態性欲論』(1915).JPG
↑ 羽太鋭治・澤田順次郎『変態性慾論』(1915年=大正4)

そして、大正期から昭和初期にかけて(1910年代から1920年代)にかけて、羽太鋭治や澤田順次郎など、いわゆる「通俗性欲学者」の手によって、「変態性欲」概念は日本の社会に流布されていきました。
羽太・澤田『変態性欲論』(1915)2.JPG
↑ 「顚倒的同性間性慾」が最も進行した形態として「女化男子」「男化女子」が位置づけられている(羽太鋭治・澤田順次郎『変態性慾論』)

重要なことは、こうした「変態性欲」概念が、明治の近代化以降、強まっていた性別越境者への抑圧に学問的根拠を与えたということです。
「男のくせに女の格好をしている、そんな奴は変態だ。ほら、ドイツの偉い精神医学の先生がこの本で言っているじゃないか」ということです。

これは、1935年(昭和10)頃の大阪の女装男娼の集合写真です。
背景などからして、かなりちゃんとした料理屋さんで宴会をした後に撮っている感じです。
女装男娼の集合写真1.jpg
↑ 1935年(昭和10)頃、大阪の女装男娼の集合写真

こうして女装男娼が集まって写真を撮っているということは、それなりの人数がいたし、組織というまでには至らなかったかもしれませんが、横のつながりが有ったということです。
さらに言うと、こういう人たちの営業が成り立つだけの、お客さんがいたということで、これもまた重要なことです。

問題は、この人たちを変態視する考え方を広めたのは誰か? 性別越境者を社会的に抑圧・疎外する学問的根拠を与えたのは誰かということです。
それは、性別を越えて生きようとした人たちに「変態性欲者」の烙印を捺した精神科医たちです。

個々の精神科医には悪意はなかったかもしれません。しかし、学問体系としてそうした形態をとったことは間違いないことで、日本の精神医学界は、性的マイノリティへの加害者としての過去を、直視し自覚してほしいと思います。
まあ、今さら謝れとは言いませんが。

この写真、どうしても大阪での研究大会でお見せしたかったです。
「姐さんたち、よかったですね。80年経って、やっとお医者さんたちが姐さんたちのことを『変態』って言わなくなりましたよ」

ここまでお話したことは、拙著『女装と日本人』(講談社現代新書 2008年)にだいたい記してあります。
3月11日にできたばかりの2刷を数冊、受付に置いてありますので、よろしかったらお買い求めください。

この写真は、アメリカ先住民ズーニー族の「ベルダーシュ」、ウィーハという人です。
「ベルダーシュ」はフランス語ですが、英語では「Two-Spirit」と呼ばれます。
男性と女性の2つの心をもつという意味です。
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↑ ズーニー族の「ベルダーシュ」 ウィーハ(1885年頃)

ウィーハは女性の仕事である糸紡ぎや機織りが得意だったようですが、それだけではなく、精神的にも肉体的にもいちばん強く、部族の男女双方から尊敬され、1896年に亡くなったとき、部族の人たちの嘆きはとても大きかったと伝わっています。
「ベルダーシュ」が男女二つの能力を兼ね備えた双性、ダブル・ジェンダーとしての強いパワーをもっていたことがわかります。

性別越境者が社会的弱者ではなく、社会の中でしっかり役割を果たし、プライドをもって生き、周囲の人たちから尊敬されていた社会があったということ、当事者の方たちには、ぜひ記憶にとどめていただきたいと思います。

そこで、会場にいらっしゃる皆さん、とりわけ精神科の先生たちに問いかけたいと思います。ウィーハという人、精神疾患ですか? 性同一性障害、あるいは性別違和ですか? 
DSM5の性別違和の診断基準に当てはまるかもしれませんが、もしそうだとしたら、やはり間違っています。
社会の中でプライドをもって役割を果たし、周囲の人々に敬愛されていた人が精神疾患と言うのなら、それはその概念、システムが間違っていると私は思います。
やはり「性別を越えて生きることは『病』ではない」ということです。

さて、時間も残り少なくなってきました。まとめに入りましょう。
性別を越えて生きることを『病』、精神疾患であるとする考え方は、細部ではいろいろ改善されてはいるものの、大筋では明らかにクラフト・エビングの『性的精神病質』以来の系譜を引いています。
それは19世紀の考え方で、当時としては病理化することに意義があったでしょうが、21世紀の今、病理化を続ける意味はどれだけあるのか、すでに時代遅れであることは明白だと思います。

また、日本も含め、性別越境者を宗教犯罪とも病ともみなさず、社会的存在として許容してきた社会があることもお話いたしました。
そうした日本社会の伝統を踏まえた時、日本では「性同一性障害」的な性別を越えて生きたいと思うことを病とみなす考え方は馴染まないと思います。

実際、これだけマス・メディアがこの10数年間、性同一性障害と言う病理化概念を流布し続けたにもかかわらず、私の学生たちの中には「性同一性障害は病気ではないと思います。
その人の生き方の問題だと思います」という意見がかなりあります(半数以上)。
私が「性同一性障害はそもそも疾患概念なのだから、『性同一性障害は病気ではない』というのは論理的に成り立ちません」と説明すると、釈然としない顔をします。
やはりベーシックなところ、基層的な文化レベルで馴染まないのだと思います。

諸外国では、イギリスやアルゼンチンなどSRSを要件としない性別移行法も増えています。
WHOの勧告のように性別変更にSRSを必須とする法システムは人権侵害であるという声も強まっています。
性別を越えて生きることが病理であることを前提化し、SRSなどの医学的治療が必然化している日本の性別変更システムは、根本的に見直す時期に来ているのではないでしょうか。

当事者の人たちも、性同一性障害の診断を受け、SRSで性器の形を変え、戸籍の性別を変更すれば幸せになれるという幻想は、もう捨てた方がいいと思います。
世の中、そんな単純なものではないですし、実際、性別移行がQOLの向上につながっていないと思われる方が、とりわけMtFに、増えてきているように聞いております。

医療が性別越境者を病理として囲い込むのではなく、性別を越えて生きたい人たちが望みの性別でより良く生きていくことを、医療がサポートするという原点にもう一度立ち返って、なにが、本当の意味での性別越境者の健康と福祉につながるのか、考え直し、システムを再構築すべきだと思います。

この写真は、昨年の2月にタイのバンコクで開催された「WPATH2014」に集まったアジアとパシフィックのトランスジェンダーたちです。
アジアのトランスジェンダー.jpg
↑ Trans People in Asia and the Pacific( WPATH 2014 in Bangkok )

トランスジェンダーの主張は、「性別を越えて生きるとは『病』ではない!」ということでした。
「性」の多様性を必然的なものとして承認し、性別越境者の存在は、けっして病理ではなく、むしろ人間の長い歩みの中で普遍的なものであるという認識に立ち戻るべきなのです。

世界の潮流はあきらかに性別移行の脱精神疾患化、さらに進んで脱病理化です。
性別を越えて生きることが病ではなくなる日が一日も早く、できれば、私が生きているうちに、それが5年か10年かわかりませんが、来ることを願って、そろそろお話を終えようと思います。

最後になりましたが、学会長である東優子さんに、最初にお会いしたのは、1995年、横浜で開催された「第12回世界性科学会議」のサポートプログラム「日本におけるトランスセクシュアリズム」でした。
それから20年、今日、こうした機会をいただきましたこと、とても感謝しております。

ご清聴、ありがとうございました。

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下山初美

今までの考え方を是正する良い内容です!
by 下山初美 (2015-03-23 14:11) 

ねこっち

講演内容を早々UPしていただいて、ありがとうございました。


by ねこっち (2015-03-23 14:41) 

ran

結局GID学会には参加できませんでした。
三橋さんのご講演を楽しみにしていましたし、会場で議論できずに残念です。
内容的には今までフォーラム等でお話し頂いたことの集大成というところでしょうか。
次回東京で開催されるフォーラムで、また議論ができればと思っております。よろしくお願い致します。
by ran (2015-03-23 15:38) 

深大寺

書かれていること、よくわかりますし、至極当然のことをおっしゃっていると思います。
by 深大寺 (2015-03-23 15:52) 

kossy

大変興味深い内容で、参加できず残念でした。
この問題に限らず様々な場面で、問題点が認識されてからシステムが変わるまで時間がかかるという印象を私は持っているのですが、
一日でも早く状況が改善され、少数派の人間が少しでも生きやすくなればと思います。
by kossy (2015-03-23 16:08) 

スクルー

興味深い基調講演です。エヴィングの時代はやはり富国強兵が、その理論の大きな支柱でしょうね。あの当時の欧州は、若い男の数が戦力国力に直結したわけです。
問題はあの当時と同じ気分の人たちが、東アジアを中心に未だに赤眼を釣り上げて、現代の状況に切歯扼腕していることでしょう。桜の討論会、声は掛っているのでしょう?
三浦小太郎氏とか、その他国立大学の教授クラスが、相当な理論武装で否定に掛るんだから、下手すれば論破されて終わりですよ。二丁目の利権リブじゃ相手にならない事は目に見えている。尾辻さんなんか特にねw
姐さんの登場を期待する声は大きいと思いますよ。
by スクルー (2015-03-23 19:41) 

YUKO

長い道のりでしたね。せっかくの道が断絶されずに、細くとも進んでいくことを祈ります。
by YUKO (2015-03-23 19:46) 

いつき

とてもとても聞きたかったのに、タイムスケジュールの関係で聞けず残念に思っていました。ライブでないのは残念ですが、ゆっくりち着いて読めました。
ほんとうにアップして下さり、ありがとうございます!
by いつき (2015-03-23 20:37) 

つっちー

ありがてえ、ありがてえ。
by つっちー (2015-03-24 03:47) 

いずみ

ありがとうございます

by いずみ (2015-03-24 11:56) 

月村朝子

講演内容のアップ、ありがとうございます!
by 月村朝子 (2015-03-25 19:25) 

Gen

大変勉強になりました。
有難うございました。
by Gen (2015-03-26 03:24) 

ふぶら

とても勉強になり、そして熱い思いが伝わってくるような内容で…素晴らしいです。
by ふぶら (2015-03-26 21:04) 

みれい

こんばんは。
この講演は聴衆に強い説得力を持つ内容だと思います。
わたしも性別を越境したり移行(変更)することは病ではないと考えています。
特に日本においては
性別適合手術を受けたがるのを性同一性障害というようになった、というよりも
性別適合手術の必要性を示すために性同一性障害という理由が後から出てきた
という背景が感じられます。

ただ、それだけでは
‘性別違和感’や‘性別の悩み’や‘性別のずれによる不具合’
を十分に説明する言葉がありません。
同一性などを研究することには学術的に意義があると思います。
それによって性別移行以外のQOLの向上の方法も提案されるようになれば幸いです。
by みれい (2015-03-31 22:23) 

三橋順子

コメントいただいた皆様、ありがとうございました。
お役に立って、学会から帰宅後、急いでアップしたかいがありました。
また、自分の考えていることが伝わることがわかって、勇気づけられました。
これからも、たとえ細くとも、道筋をしっかり見据えて、歩いて行こうと思います。
by 三橋順子 (2015-04-02 11:50) 

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