SSブログ

「東京(下町)大空襲」から70年 [近・現代史]

3月9日(月)

70年前の1945年(昭和20)3月9日深夜(初弾投下10日0時7分)、東京下町地区は、アメリカ軍のB29、325機の大編隊による
焼夷弾攻撃を受け猛火に包まれた。
そして、わずか1夜にして、10万人以上の非戦闘員の人命が失われた。
日本人が決して忘れてはいけない「東京(下町)大空襲」である。

この攻撃は、高度1600~2200mの超低高度・夜間・焼夷弾攻撃という新戦術によるもので、木造家屋が多数密集する下町の市街地を焼き払うことを目的としたもので、38万1300発、1783トンもの高性能焼夷弾・爆弾が投下された。
SCN_0071 (2).jpg
この画像は、「東京(下町)大空襲」の12日前、アメリカ軍の偵察機によって撮影された空中写真(『地図中心』No510,2015年3月号)。
左上に大きく見えるのが上野の不忍池、中央上部に上野駅。
中央、御徒町駅の北から東に広がる黒い部分(現在の台東区東上野一帯)は、2月25日の空襲で焼かれた地域。
白昼、こんな人家一軒一軒が判別できるような精密な空中写真を悠々と撮影されているということは、帝都上空の制空権を日本軍が失っていたことの何よりの証拠で、すでに負け戦は確実な情勢だった。

今さら言っても詮無いことながら、サイパン島陥落(1944年7月9日)の時点で降伏していたら、どれだけ多くの人命が失われずに済んだかと思ってしまう。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0