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20年前あの日の朝 [地震・火山・地質]

1月17日(土)

1995年1月16日(月・休)の夜、私は新宿歌舞伎町で友人(水野洋子さん・松田千絵さん)と遊んでいた。
一晩中、区役所通りにあった女装スナック「ジュネ」(チーママが休日営業)などで飲み歩き、日付が17日に変わり、明け方、たぶん5時半過ぎの電車で帰路についた。

いつもは渋谷駅でJR山手線から東急東横線にすんなり乗り換えるのだが、その日はとてもお腹が空いて、いちど駅の構内から出て、JRのガード下にある、立ち食い蕎麦屋に入った。

店主が私の前に並んでいた顔なじみらしい中年男性に「神戸の方で大きな地震があったようですよ」と話しかけたのが耳に入った。
時刻はたぶん6時前後だったと思う。
地震発生が5時46分だから、まだ第一報段階だったのだろう。
そのときは、大きな地震があったということしかわからなかった。

天婦羅蕎麦を食べた私は、東急東横線に乗って自室に戻ると、地震のことが気にならないではなかったが、酔いと眠気でベッドに倒れ込み、そのまま眠ってしまった。

そして、お昼近くになって目が覚めて、神戸の地震のことを思い出し、テレビをつけると、神戸の街が燃えている衝撃的な空撮映像が目に飛び込んできた。

地震学的に言うと、阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震はM7.3で、日本列島の地震としてはそれほど大きな部類ではない。
「巨大地震」と言っているメディアがあるが、それは違う。
毎年とは言わないが、5~10年に1度くらいは起こる規模だ。
しかし、震源が16kmと浅く、しかも地震を起こした野島断層が、大都市神戸の人口密集地域の真下を通っていたことで、大きな被害につながった。
つまり、典型的な大都市直下型地震災害ということだ。
ffa0c932.jpg
このタイプの地震は、2011年9月11日の東北地方太平洋沖大地震のような海溝型巨大地震に比べれば規模は格段に小さいが、大都市を直撃すれば大きな被害が出る。

近い将来、東京を中心とする南関東をほぼ確実に襲うだろうM7前後の東京直下型地震も、震源の場所によっては、同様の被害になる可能性が十分にある。

阪神・淡路大震災の犠牲者を悼むと同時に、来るべき東京直下型地震への心構えを新たにしないといけない。

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コメント 2

寧々

当時、大阪府箕面市に住んでいました。
ベッドで、就寝中でしたが、
突き上げるような揺れで、目を覚ましました。
なかなか揺れがおさまりませんでしたので、
普通の地震ではない事は、とっさに想像がつきました。
高台の上、アパートに住んでいましたので、
揺れがおさまるのを、待って、窓の外を見ました。
街の様子に変化がない事を確認し、
テレビをつけました。
各地の震度が、表示され、、
被害の情報が、次々と、もたらされましたが、
神戸だけ、震度が空白でした。
そうこうしているうちに、出勤時間となりましたので、
身支度をして、近くの職場に行きました。
オフィスは、物が散乱していましたが、
大きな被害はありませんでした。
出勤してきた人みんなで、手分けして、
後片付け、社員の安否確認しました。
でも、まだ、携帯電話が、普及してない時代でしたので、
ほとんどは、向こうからの連絡待ち状態でした。
幸い、亡くなった方は、おられませんでした。

震災の記憶も、どんどん薄れて、
危機意識も、落ちてきていますが、
今日を機会に、防災のついて、再確認をしたいと思います。

by 寧々 (2015-01-17 16:43) 

三橋順子

寧々さん、いらっしゃいま~せ。

貴重な実体験談、ありがとうございます。
あの2カ月後に関西に行ったとき、神戸の無惨な被災状態と大阪の変わらぬ繁栄との落差に驚きました。
神戸で被災したニューハーフの方もいたと聞いています。
神戸のお店が営業不能になり大阪に流れてきたニューハーフさんもいました。
あれから20年、いろいろな記憶が薄れて行きます。
こういう機会に、文字にしておくのもいいのかなと思いました。


by 三橋順子 (2015-01-17 22:44) 

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