10月29日(水)家猫さんと猫の絵を見に行く―国立近代美術館「菱田春草展」― [お勉強(博物館・美術館)]
10月29日(水) 晴れ 東京 21.6度 湿度34%(15時)
8時、起床。
9時間ほど眠って、やっと疲労回復。
朝食は、グレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて、頭頂部で結んで、シュシュを巻く。
化粧と身支度。
紺地に白い雲のような模様のロング・チュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショートブーツ、焦茶のトートバッグ、錆朱と黒の有松絞のショール。
9時50分、家を出る。
途中、コンビニによって配布資料をコピー。
東急東横線で自由が丘駅へ。
10時半、産経学園(自由丘)で「春日権現験記絵」の講義。
12時、終了。
駅前で家猫さんと待ち合わせ。
自由が丘駅南口の「Butcher's (ブッチャーズ)」へ。
私はいつものように、おろしハンバーグランチ(830円)。
家猫さんは、レモンステーキ(730円)。
東急東横線(渋谷駅乗換)東京メトロ半蔵門線(九段下駅乗換)同東西線を乗り継いで、竹橋駅で下車。
北の丸の「東京国立近代美術館」へ。
「菱田春草」展を見る。
菱田春草(1874~1911年)は明治時代の日本画家。
岡倉天心(1863~1913年)の弟子で、横山大観(1868~1958年)、下村観山(1873~1930年)らとともに「日本美術院」の創設に参加し、明治期の日本画の革新を担った。
今回は生誕140周年記念の大規模な回顧展。
制作年代順に見ていくと、いろいろな技法を試みをしたあげく、「落葉」(1909年)、「黒き猫」(1910年)で、ようやく境地に到達した直後の1911年に36歳の若さで病没してしまい、画業を充実・大成できなかったことが、よくわかる。
その点、同門の横山大観が89歳まで生きて画業を大成したとの大きな違い。
お目当ての猫のたち。
黒猫、白猫、白黒猫ばかりで、私が好きな白茶猫や三毛猫がいない。
春草のイメージになかったのか、それとも茶色の顔料を使いたくなかったのか?
それにしても、家猫さんが文化祭の代休なので、平日の午後に来たのに、この混みようはなんなのだ?
もう日本の人口の半分くらいは、毎日が休日の人なのかもしれない。
展望室で一休み。
↑ 竹橋・大手町方面。
↑ 北桔橋門(きたはねばしもん)方面。
せっかくなので平常展示もざっと見る。
織田一磨(おだ かずま、1882~1956年)『画集新宿風景』(6点連作)のうちの「新宿カフェー街」(1930年)という作品に注目。
これは資料として使えるかも。
この時期の新宿のカフェー街は「三越裏」か「東海通り」(現:末広通り)のどちらか。
店名が正確に描かれていれば、どちらか調べればわかるかも。
15時、退館。
内堀通り沿いに歩いて、九段下に出る。
3・11の大震災で、天井が崩落して死者を出した「九段会館」(旧・軍人会館)。
昭和9年(1934)の竣工で、「二・二六事件」(1936)では戒厳司令部が置かれた歴史的建造物だが、解体が決定まった。
東京からまた「昭和」が消えていく。
九段下界隈、喫茶店がどこも満席で、しかたなく地下鉄に乗って帰路へ。
自宅最寄り駅前の「ドトール」でやっと休憩。
「東急ストア」で買い物をして帰る。
17時、帰宅。
8時、起床。
9時間ほど眠って、やっと疲労回復。
朝食は、グレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて、頭頂部で結んで、シュシュを巻く。
化粧と身支度。
紺地に白い雲のような模様のロング・チュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショートブーツ、焦茶のトートバッグ、錆朱と黒の有松絞のショール。
9時50分、家を出る。
途中、コンビニによって配布資料をコピー。
東急東横線で自由が丘駅へ。
10時半、産経学園(自由丘)で「春日権現験記絵」の講義。
12時、終了。
駅前で家猫さんと待ち合わせ。
自由が丘駅南口の「Butcher's (ブッチャーズ)」へ。
私はいつものように、おろしハンバーグランチ(830円)。
家猫さんは、レモンステーキ(730円)。
東急東横線(渋谷駅乗換)東京メトロ半蔵門線(九段下駅乗換)同東西線を乗り継いで、竹橋駅で下車。
北の丸の「東京国立近代美術館」へ。
「菱田春草」展を見る。
菱田春草(1874~1911年)は明治時代の日本画家。
岡倉天心(1863~1913年)の弟子で、横山大観(1868~1958年)、下村観山(1873~1930年)らとともに「日本美術院」の創設に参加し、明治期の日本画の革新を担った。
今回は生誕140周年記念の大規模な回顧展。
制作年代順に見ていくと、いろいろな技法を試みをしたあげく、「落葉」(1909年)、「黒き猫」(1910年)で、ようやく境地に到達した直後の1911年に36歳の若さで病没してしまい、画業を充実・大成できなかったことが、よくわかる。
その点、同門の横山大観が89歳まで生きて画業を大成したとの大きな違い。
お目当ての猫のたち。
黒猫、白猫、白黒猫ばかりで、私が好きな白茶猫や三毛猫がいない。
春草のイメージになかったのか、それとも茶色の顔料を使いたくなかったのか?
それにしても、家猫さんが文化祭の代休なので、平日の午後に来たのに、この混みようはなんなのだ?
もう日本の人口の半分くらいは、毎日が休日の人なのかもしれない。
展望室で一休み。
↑ 竹橋・大手町方面。
↑ 北桔橋門(きたはねばしもん)方面。
せっかくなので平常展示もざっと見る。
織田一磨(おだ かずま、1882~1956年)『画集新宿風景』(6点連作)のうちの「新宿カフェー街」(1930年)という作品に注目。
これは資料として使えるかも。
この時期の新宿のカフェー街は「三越裏」か「東海通り」(現:末広通り)のどちらか。
店名が正確に描かれていれば、どちらか調べればわかるかも。
15時、退館。
内堀通り沿いに歩いて、九段下に出る。
3・11の大震災で、天井が崩落して死者を出した「九段会館」(旧・軍人会館)。
昭和9年(1934)の竣工で、「二・二六事件」(1936)では戒厳司令部が置かれた歴史的建造物だが、解体が決定まった。
東京からまた「昭和」が消えていく。
九段下界隈、喫茶店がどこも満席で、しかたなく地下鉄に乗って帰路へ。
自宅最寄り駅前の「ドトール」でやっと休憩。
「東急ストア」で買い物をして帰る。
17時、帰宅。
2014-10-29 22:30
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コメント(3)
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菱田春草は若死にしたにょで、それほど残っている作品も多く無い
にょですが、やはり・・・よくある有名な○○を見に行こうという
パターンにゃのでせうね。
○○指定とか、○○登録となると急に人が増えたりするw
九段の軍人会館といえば、戒厳司令部から愛宕山まで、怪しの者
が何やらせっせと往復していたと古老から聞きみゃした。
by NO NAME (2014-11-01 22:19)
おっと、肉球がすべりみゃした。
上の書き込みは私ですにゃ。
by 真樹猫ちゃん (2014-11-01 22:20)
真樹大姉様、いらっしゃいま~せ。
古老ではなく、大姉様ご自身が黒猫軍団を率いて往復したと聞いておりみゃす。
by 三橋順子 (2014-11-02 21:12)