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武蔵野地域自由大学 「昭和のサブカルチャー研究」(第3回)「昭和女装者列伝―トランスジェンダー・カルチャーの昭和史―」 [お仕事(講義・講演)]

武蔵野地域自由大学 「昭和のサブカルチャー研究」(第3回)
2014年10月27日(成蹊大学)
昭和女装者列伝
―トランスジェンダー・カルチャーの昭和史―
 講師:三橋順子(都留文科大学非常勤講師・性社会文化史研究者)

1 基礎知識として
(1)「女装」とは?
  ① 女性の服飾(いでたち)。
  ② 男性が(女のようにみえることを目的に)女性の服飾を身にまとうこと。
(2)「女装者」とは?
  定常的に女装行為をする男性。 
  パートタイム(行ったり来たり)とフルタイム(ぼぼ行ったっきり)
(3)トランスジェンダー(Transgender)とは?
  Gender(社会的・文化的性)を越境すること。性別越境。
(4)なぜ女装するのか? -女装者のタイプー
  ① フェティシズム型 
   女性の衣服(あるいはその一部)や化粧に執着や性的な快感があり、それを身につけたいために女装する。
  ② ナルシズム(自己愛)型 
   自分の女装した姿に愛着や性的興奮を感じ、それを実体化したいために女装する。
  ③ 女装ゲイ型
   男性に対して強い性的指向があり、男性の視線を集め、性的関係を結ぶことを容易にするための手段として女装する。
  ④ 性別違和感型 
   男性としての自分の性別に違和感を抱き、限定的・時限的ではあっても、女性としての自分を実体化し社会的関係を構築したいために女装する。

2 歴史の中に女装者たちの足跡をたどる
(1)前近代の女装者たち
  ① 日本は「建国神話」に女装者がいる国
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↑ 女装姿で熊襲タケル弟を殺害するヤマトタケル
 兄の方は寝室ですでに殺害、だから剣はすでに血にまみれている。
  (三重県鈴鹿市加佐登神社の絵馬 1903年)

  ② 中世寺院社会の稚児
鎌倉時代稚児1.jpg
↑ 女院の行幸を見物する女装の稚児。
小袿に「藺げげ」(履物)という当時の若い女性とかわらない姿で、師匠である高僧(後ろで数珠を持っている人)に仕えた。
並んでいる同世代の少年たちとは、まったくジェンダーが違うことがわかる。
 (『石山寺縁起絵巻』 鎌倉時代)

  ③ 鈴木春信「江戸三美人」図
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↑ 評判の美人町娘、笠森お仙(右)と柳屋お藤(左)を従えて中央(センター)に立つ瀬川菊之丞(二世)
生得的な女性2人と当代きっての女形の三美人図という構成に注目。

  ④ 陰間茶屋の繁盛
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↑ 鈴木春信「色子の送り」
この2人が「同じ性別である」と認識するのは無理があると思いませんか?
陰間(左) (2).jpg陰間(右) (2).jpg
↑ 北尾重政『絵本・吾妻抉』(1786年)
どれが陰間かすぐにわかりますか?
二階座敷で待っている客はどんな人?

(2)近代の女装者たち
  ① 「文明開化」の転換 ―抑圧の始まり―
東京名所三十六戯撰 (3).jpg
↑ 向島の花見で女装して三味線を弾く男。
明治5年(1872)までは、女装してもお咎めはなかった。
(『東京名所三十六戯撰』1872年)
大阪錦絵新話1 (3).jpg
↑ ところが、明治6年(1873)に「違式詿違条例」が制定されると・・・、
女装・男装は法的に禁止され、女装で生活していたというだけで逮捕されてしまうようになった。
(『大阪錦絵新話』5号 1873~75年)

  ② アンダーグラウンド化 ―虞犯者として―
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↑ 『読売新聞』明治44年(1911)3月4日朝刊
「荒木繁子」こと荒木繁夫の上京・潜伏を伝える。
「彼女」は何もしていないのに・・・。
女装・男装が違法でなくなってからも、警察は女装者を虞犯者(犯罪を行う虞れのある者)扱いし続ける。

(3)昭和戦前期の女装者たち
  ① 女装男娼 ―抑圧の中を生き抜く―
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↑ 流山龍之助『エログロ男娼日記』(1931年・即日発禁)は、浅草の女装男娼「愛子」(22歳)を主人公にした実録小説。
女装男娼の日常を描いてリアリティが高く、おそらくモデルがいたと思われる。
女装男娼(1937:三輪弓子) (2).jpg
↑ 女装男娼、三輪弓子(1936年)。当時、流行のショールを羽織っている。        
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↑ 1937年、銀座で「密売淫」の現行犯で逮捕された福島ゆみ子(24歳)。
築地署で取り調べ中に男性であることが判明して罪状が消失(戦前も戦後も売春禁止法規は女性だけが対象)。
だから、「男なんて甘いわ」とつぶやきながら、余裕の表情で新聞社の撮影に応じている。

女装男娼の集合写真1.jpg
女装男娼の集合写真2.jpg
↑ 女装男娼の集合写真
いずれも1935年(昭和10)前後の撮影と推定。
これだけの人数の女装男娼がいて、かつ集まって記念写真を撮っていることから、横のつながりができていたことがわかる。

  ② 女装芸者 ―温泉地の人気者―
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↑ 塩原温泉(栃木県)・おいらん清ちゃん(1936年頃)
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↑ 鬼怒川温泉(栃木県)・きぬ栄(1959年頃)
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↑ 伊東温泉(静岡県)・チャコ(1960年代)
戦前、戦後の各地の温泉地にいた女装芸者は、女装者の職業の「女性コピー」的性格を示すとともに、営業が成立する(どころか、並の女性芸者より人気があった)だけの需要があったという点でも興味深い。

 ◎ 「最後の」女装芸者 向島・真佐緒姐さん と後継者
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↑ 向島・真佐緒姐さん(1986年12月)
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↑ 向島・真佐緒姐さんと(2001年10月)  
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↑ 大井・まつ乃屋栄太朗(現在)。
真佐緒姐さんが亡くなって、女装芸者は絶えたと思われたが・・・、最後の大井芸者だったお母さんの跡を息子さんが継いだ。

  ③ 新派の女形 ―婦人雑誌の表紙にも―
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↑ 曾我廼家桃蝶・和装の娘。
新派の曾我廼家五郎劇団の立女形として活躍し、婦人雑誌の評しモデルにもなった。
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↑ 曾我廼家桃蝶・洋装のモダンガール
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↑ 曾我廼家桃蝶『芸に生き、愛に生き』(1966年)
引退に当たって出版した自叙伝で「女性的性格で男性しか愛せない」ことを告白。
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※ 戦後トランスジェンダー史の概念整理 ―プロとアマ、女装と女体化― 
 A 女装を生業とする   プロフェッショナル女装(商業女装)   
                  ゲイボーイ → ニューハーフ
 B 女装を生業としない  アマチュア女装(趣味女装)  
                  女装者 → 「男の娘」
 a 女を装う          (女装) 女装者 → 「男の娘」
 b 身体を女性化する(女体化) 性転換者 → 「性同一性障害」の人たち
  Aa、Ab、Ba、Bbの4類型化できる。 
    → Baが最もサブカルチャー的なので、今回はBaを中心に述べる。
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(4)昭和戦後混乱期(1945~1954)の女装者たち  
  ① 上野の男娼 ―廃墟の中のフロントランナーー―
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↑ 上野駅に立つ女装男娼。
美貌の人は街灯の下に立ち、そうでない人は暗がりに立った。
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↑  「人形のお時」姐さん。
上野(ノガミ)の男娼きっての美形と言われた。
埼玉県秩父郡小鹿野町の出身で私の同郷の先輩。

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↑ 角達也著『男娼の森』(1949年4月)。
ノガミの男娼世界をリアルに描いてベストセラーになった。
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↑ 上野公園 警視総監殴打事件 (1948年11月22日夜)を報じる「毎日新聞』。
この事件で「ノガミの男娼」世界は解体に追い込まれる。
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↑ 田中栄一警視総監を「殴った」(複数いる)女装男娼の代表格「鉄拳のお清」姐さん。
「鉄拳の」という二つ名に似合わないニャンコを抱いた穏やかな晩年。

  ② 進駐軍慰問団の女装ダンサー
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↑ ジュリー・アリンダ。自称、日系アルゼンチン三世 
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↑ (左)村上文子 (右)メアリー園川
進駐軍関係の女装文化は、資料的に「ブラックボックス」で、わからないことが多い。

  ③ 「性転換女性」の登場
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↑ 1951年に男性から女性への性転換手術を受けた永井明子。
造膣手術の執刀は石川正臣日本医科大学教授。
性転換手術としては、世界で1、2の早さで、埼玉医大(1998年FtM、1999年MtF)より47年も早い。
日本の形成外科のレベルの高さを示すもの。
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↑ 戸籍の性別も女性に転換している(明→明子、参男→次女)。
「GID特例法」(2003年)で初めて戸籍の性別変更ができるようになった、というのは大嘘。

(5)昭和30~40年代(1955~1974)の女装者たち
  ① 「演劇研究会」―最初のアマチュア(趣味)女装「秘密結社」―
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↑ 『演劇評論』23・24合併号(1957年11月)
演劇研究を隠れ蓑にした女装趣味のサークルだった。
機関誌『演劇評論』の中身も「女装告白記」ばかり。
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↑  『演劇評論』21号の口絵「女装十二態・夏化粧」
この頃の女装は、着物、和化粧、日本髪が主流。

  ② ゲイバーの「女将」たち
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↑ 湯島天神男坂下「湯島」の市蝶(1950年代後半)。
曾我廼家一座の女形出身で、戦後は上野で男娼をしていた。   
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↑ 新宿千鳥街「ポケット」のしげみ(1960年代前半)  
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↑ 青山「音羽」の文哉(1960年代前半) 
歌舞伎女形系の和装ゲイバーだったが、東京五輪前の浄化運動で廃業。

  ③ 「ブルー・ボーイ」来日 ―「黒船」の衝撃―
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1964年11月第2回公演パンフレット(ゴールデン赤坂)。
モデルはバンビ。 
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↑ 1965年11月第3回公演のメンバー。。
後列左よりクリスチーヌ、ココ、キスミー、前列左よりレディ・コブラ、ソニーテール。
帰国の際、英国海外航空(BOAC)のB707が富士山上空で乱気流のため空中分解墜落する事故で、メンバー全員が犠牲に・・・。  
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↑ 1965年第3回公演のソニーテールの舞台。

  ④ 「和製ブルー・ボーイ」の活躍
「ブルーボーイ」の来日公演は、日本のトランスジェンダー・カルチャーにとって「黒船」だった。
これをきっかけに、日本でもトランスジェンダー・ショービジネスが活性化し、さらにショーのスタイルも和風(日本舞踊と芝居)から洋風(歌とダンス)へ転換していく。
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↑ 吉本一二三(右)と高橋京子(1961年) 
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↑ 銀座ローズ(武藤真理子)(1963年) 
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↑ カルーセル麻紀(1968年)   
                   
  ⑤ 「富貴クラブ」―アマチュア女装「秘密結社」の成長―
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↑ 東京オリンピックに間に合わせて新装なった新宿駅ビル(東口)前で(1964年6月)
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↑ 「会員の部屋」で(1968年?)
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↑ 奥多摩ドライブ旅行(1973年秋)
後姿の男性が西塔哲会長。

 ◎ 「富貴クラブ」のアルバムから
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↑ 成人式の記念写真(1968年)
撮影場所は、鎌倉の写真館。
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↑ お花を生ける(1972年頃)        
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↑ 「中野部屋」のベランダでバーベキューを楽しむ夢野すみれさん(1973~74年頃)
       
  ⑥ 新宿女装世界の揺籃 ―花園五番街「ふき(梢)」―
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↑ 最初のアマチュア女装バー「梢」(1967年「ふき」の名で開店)
着物姿の人は、梢ママの友人の美島弥生さん。   
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↑ 加茂こずゑママ(1969年)
読売新聞の社員だったが、密告され退社。      
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↑ 女装者と男性の結婚式(1967年:花嫁は美島弥生さん)
最近、同性同士の結婚式が話題になったが、少なくとも50年前にすでにあった。

◎ 松葉ゆかりさん 新宿の青春
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↑ ゴールデン街裏の都電廃線跡で(1971年3月) 
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↑ 新宿中央公園で(1973年5月)
まだ、背景の超高層ビルがまばら。
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↑ 念願かなって日本髪・大振袖でお年始まわり(1975年正月)

(6)昭和50~60年代(1975~1988)の女装者たち
  ① 商業女装クラブの「エリザベス」出現 ―女装の大衆化―
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↑ 最初期の広告(1979年) 
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↑ 最初期の入場券(1979年)。
スタートは神田須田町の3階建てのビルだった。
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↑ 1984年の広告 右上の「趣味とストレス解消の店」に注目。
モーレツ・サラリーマンのストレス解消としての女装趣味というコンセプトを打ち出した。

 ◎ 「エリザベス会館」の日常(1990年代前半)
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↑ 撮影        
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↑ イベント(パジャマ・パーティー)          
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↑ たまに集団外出(上野公園でお花見)   

  ② 女装専門雑誌『くいーん』刊行 ―女装の全国普及―
『くいーん』創刊号(1979年8月).jpg
↑ 創刊号(1980年6月)。モデルではなく、トランプの「くいーん」だった。        
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↑ 44号(1987年10月)の表紙(秋野友子さん) 
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↑ 49号(1988年8月)の裏表紙(相沢一子さん)

  ③ 「競技女装」の世界 ―女装者のミスコン―
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↑ 応募写真を撮影する       
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↑ 『くいーん』誌上に写真が並ぶ → 読者投票。
1冊に1枚の応募はがきなので、パトロンに頼んで大量購入・投票する人もいた。

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↑ そして、授賞式(第10回 全日本女装写真コンテスト 授賞式:1993年8月)

(7)平成時代(1989~)の女装者たち
  ① 新宿女装コミュニティの全盛―「電脳女装世界」と連携―(1990年代)
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↑ 伝統的なホステスクラブ的な接客スタイル(歌舞伎町「ジュネ」)
普通はこういう写真は撮れない。懇意な男性客にとくにお願いして撮影。          
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↑ 「Club Fake Laby」の新年オフ会 (新宿3丁目「梨紗」)
          
  ② 世の中に出ていく女装者(1990年代後半)
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↑ 浅草寺ほうずき市(1994年)。岡野香菜さんと。  
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↑ 隅田川屋形舟ツアー(1997年) 
セクソロジーの権威、ミルトン・ダイアモンド博士(ハワイ大学教授)を囲んで。 
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↑ 那須温泉旅行(1997年)

  ③ トランスジェンダーの社会進出(2000年~) 
2000年 藤野千夜、「夏の約束」で第122回芥川賞を受賞
2000年 大学教員へ任用(蔦森樹ー琉球大学、三橋順子ー中央大学)
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2003年 上川あや、世田谷区議会議員に当選
2007年 中村中(あたる)、「友達の詩」がヒット、NHK紅白歌合戦に出場(紅組)
中村中『友達の詩』.jpg
2008年 はるな愛、大ブレイク
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2009年 はるな愛、 『ミス・インターナショナル・クイーン』(タイ)でグランプリ
ミス・インターナショナル・クィーン(2009).jpg

  ④ 「男の娘(おとこのこ)」の出現(2008年~)
従来、「男性と女装者」だった関係性が、「女性と女装者」という関係性に変化していくことに注目。
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↑ 女装メイドカフェ(秋葉原:2009年)    
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↑ 銀座を歩く「男の娘」(2010年) 井上魅夜さんといがらし奈波さん    
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↑ 女友達の結婚パーティで(2011年) 吉野さやかさん
                    
  ⑤ 「東京化粧男子宣言!」(2010年~)
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↑ 第1回「東京化粧男子宣言!」(2010年)
東京化粧男子宣言(2009)3.jpg
↑ 決勝進出の8組。
コンテストは、モデルの男性とコーディネートの女性の2人組が対象。
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↑ グランプリ受賞のルルさん
 
  ⑥ 「女装・ニューハーフ プロパガンダ」
毎月最終土曜日、新宿歌舞伎町で開催される女装イベント。
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↑ 初代主催者のモカさん 
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↑ 参加者。
美人な上にスタイル抜群、お願いして撮影。 
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↑ Dr. Sam Winter(香港大学教授)と井上魅夜さん

3 トランスジェンダー・カルチャーとはなにか
(1)日本人は「女装が好き」?
 事例1 はとバス 夜の東京観光、一番人気は?
はとバス1.jpg
はとバス2.jpg 
ニューハーフショーを組み込んだコースが長年一番人気。

 事例2 女装バレエ団の日本公演は大人気
モンテカルロ・デ・トロカデロ.jpg
もう30年、6~8月に全国を公演。
女装バレエ団にとって日本は最高においしい市場。

 事例3 女装を伴う祭礼は各地にある
奈良県明日香村 飛鳥坐神社の「お田植祭(おんだ祭)」(2月第1日曜)
東京都江戸川区東葛西 真蔵院の「雷の大般若」(2月第4日曜)
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↑ 神奈川県川崎市川崎区 若宮八幡(金山神社)の「かなまら祭り」(4月第1日曜)
山梨県甲斐市竜王 三社神社の「おみゆきさん」(4月15日)
神奈川県横浜市戸塚区の八坂神社の「お札撒き」(7月14日)
 他多数
 
  ①女装の人が撒くお札は効き目がある?
   神奈川県横浜市戸塚区の八坂神社の「お札撒き」(7月14日)
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戸塚お札撒き3 (2).jpg
戸塚お札撒き4 (2).jpg
戸塚お札撒き7.jpg

  ②女装の人が踏み固めると堤防が丈夫になる?
   山梨県甲斐市竜王 三社神社の「おみゆきさん」(4月15日)
おみゆきさん2 (3).jpg
おみゆきさん1 (2).jpg

(2)双性原理とはなにか?
  ・ 「男でもあり、女でもある」双性的特性(Double gender)を持つ人は、通常の人間ではない(異人)から、通常の人間とは異なる能力(異能)をもち、神により近い存在として聖視されるという考え方。
    → 「男でもなく、女でもなく」では「異能」は生じない
  ・ 通常の人が女装、男装することは、双性的な存在となり神性を帯びるための手段。
    → 「女装=女になる」「男装=男になる」ではない
双性概念の図.jpg

(3)トランスジェンダーの普遍性
  ・日本を含むアジア&パシフィックにおいては、地域的・時代的にトランスジェンダーは普遍的存在 
    → いつでも、どこにでもいた
    → 欧米社会ではキリスト教化の過程で抹殺
アジアのトランスジェンダー.jpg
↑ トランスジェンダーは、アジア&パシフィックの普遍的な文化。
「WPATH 2014 Symposium in Bangkok」(2014年2月)に、インド、ネパール、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピン、トンガ、香港、中国、日本のトランスジェンダーが集った。

(4)トランスジェンダーの職能
  ・前近代の社会では、トランスジェンダーは、特定の社会的職能をもって存在
  ①宗教的職能(シャーマン)
  ②芸能的職能
  ③飲食接客的職能
  ④性的サービス的職能(セックス・ワーク)
  ⑤男女の仲介者的機能(女性の相談役)
    → ①をベースにして②③④⑤が派生
    → ②③④は、前近代においては三身一体で不分離
ヒジュラ4 (2).jpg
↑ 両性具有神シヴァの祭礼の日、神の化身として人々に祝福を授けるヒジュラ(インド)。

(5)日本のトランスジェンダー・カルチャーの特質
  ・欧米キリスト教世界には、トランスジェンダー文化の伝統がない。
  ・アジア&パシフィックの多くの国では、トランスジェンダーは生業と密着している。
  ・生業と離れた「趣味」の形でトランスジェダー文化が発達したのが高度経済成長期以降の日本の特徴。
  ・だから、現代日本のトランスジェンダー文化は、日本の特色的なサブカルチャーとして、世界的に注目されている。
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↑  『TRAP-男の娘の罠-』(2011年)
  ・日本で、トランスジェンダーに対する蔑視・抑圧が強まるのは、欧米キリスト教世界の社会規範・学問が入ってきた明治の文明開化期以降。
  ・それでも、日本人の伝統的なトランスジェンダーへの親和性(女装・男装好き)、トランスジェンダー芸能への嗜好は消えなかった。
    → 欧米で一流企業のテレビCMにトランスジェンダーが起用されることは極めて稀
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↑ スズキ「キャリイ」のCMで菅原文太と共演したトランスジェンダー・タレントのはるな愛(2013年)

まとめ
  ・トランスジェンダー・カルチャーは日本の文化伝統に根差し、日本人の嗜好に支えられた文化である。
    → だから根強い  何度もブームが反復される  これからも・・・

女装を抜きに日本文化は語れない!
女装と日本人  (3).jpg

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講師プロフィール 
三橋順子(みつはし じゅんこ) 1955年生、埼玉県秩父市生まれ。
性社会・文化史研究者。明治大学、都留文科大学、東京経済大学、群馬大学医学部、早稲田大学理工学院非常勤講師。
専門はジェンダー/セクシュアリティの歴史、とりわけ性別越境(トランスジェンダー)の社会・文化史、及び、買売春(主に「赤線」)の歴史、着物文化論(銘仙の社会史)。
2000年4月、中央大学非常勤講師(現代社会研究)に任用され、日本最初のトランスジェンダーの大学教員となる。
2005年度にはお茶の水女子大学で専論講座としては日本初の「トランスジェンダー論」を講義。
現在、都留文科大学、明治大学、東京経済大学などで「ジェンダー論」の講義を担当。
著書に『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年)、共編著に『戦後日本女装・同性愛研究』(中央大学出版部、2006年)。
主な論文に「往還するジェンダーと身体-トランスジェンダーの経験-」(講座・身体をめぐるレッスン第1巻『夢見る身体Fantasy』岩波書店、2006年)、「異性装と身体意識 -女装と女体化の間-」(武田佐知子編『着衣する身体と女性の周縁化』思文閣出版、2012年)、「性と愛のはざま-近代的ジェンダー・セクシュアリティ観を疑う-」(『講座 日本の思想 第5巻 身と心』岩波書店、2013年)など。

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コメント 4

YUKO

見た事のある写真もあり、おおっと思う物もあり。楽しませていただくと共にお勉強になりました。急かせてごめんなさいね(^^)
by YUKO (2014-11-02 14:40) 

三橋順子

YUKOさん、見てくれてありがとう。
今回の講義は市民向けだったので、あまり深くは突っ込みませんでした。
とくにセクシュアリティ絡みはほとんど言及してません。
画像は、新しいものを少しずつ足して、ヴァージョンアップしています。
by 三橋順子 (2014-11-03 15:30) 

Gen

載せてくださってありがとうございました。
きれいなお写真の数々、とても勉強になりました。
個人的には先生の網タイツ姿のお写真が忘れられないです・・・。
とってもきれいでセクシーで・・・・。
講義を聞いた方々はためになったことでしょうね。
なかなか聞く機会がない話ですから・・・。
by Gen (2014-11-04 02:13) 

三橋順子

Gen さん、いらっしゃいま~せ。

そう言っていただけると、一日費やして頑張ったかいがあります。

>とってもきれいでセクシーで・・・・。
ありがとうございます。
私の画像が混じっているのは、他に適当なものがなかったり、手元に画像があって便利だったり、それと、刊行物とはいえ他人の画像をあまり使うのは気が咎めるからです。
講義の時、いちいち「私です」と言うわけではないので、気付かない受講生もいると思います。

by 三橋順子 (2014-11-07 14:24) 

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