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同じ「〇〇組」でもテキヤとヤクザは違う [性社会史研究(一般)]

9月5日(金)
1947年(昭和22)に成立した新宿区の「区史」は、現在まで6回刊行されている。

1955年(昭和30)『新宿区史』
1962年(昭和37)『新宿区15年のあゆみ』
1967年(昭和42)『新修 新宿区史』
1988年(昭和63)『新宿区史-区成立40周年記念』
1998年(平成10)『新宿区史―区成立50周年記念―』
2007年(平成19)『新宿時物語-新宿区60年史』

ほぼ10年ごとに更新しているのは、財政潤沢な区ならでは、すばらしいことだ。
歴史研究者にとっても、資料が豊富なのはありがたい。

ところが、先日(4日)、都立中央図書館で、これらの区史を閲覧していてちょっと気ることがあった。
敗戦直後の新宿には東口にも西口にも都内最大規模の闇市マーケットが成立した。
東口の尾津組「竜宮マート」、「聚楽」裏の野原組が仕切る「ハモニカ横丁」、東口から南口にかけての「和田組マーケット」、そして、安田組が仕切る「西口マーケット」。

そうした闇市マーケットを仕切った「〇〇組」のイメージが、新しい「区史」になるにつれてどんどん悪くなっていく気がした。
早い話、現代の暴力団に同一化していくような・・・。
でも、違うと思うんだなぁ。

「だって『〇〇組』って言い方はヤクザでしょう」と考える若い方もいるかもしれない。
でも、「〇〇組」という団体がみんなヤクザだったら、ゼネコン大手の「熊谷組」や「大林組」はどうなるんだ?

そもそも「ヤクザ」という言葉は、賭博(とばく)渡世の博徒(ばくと)を指す言葉だ。
このことが、もう忘れられている。

「〇〇組」という名称は、いろいろな団体に使われてきた。
「熊谷組」や「大林組」のような建築関係、炭鉱などで働く人たちを束ねる鉱山関係、港で貨物の積み込み・積み下ろしををする沖仲士(港湾労働者)の人たち、街頭で物を売るテキヤ(露店商)の人たち、そして賭博(トバク)を生業とする博徒etc

「組」組織には、親分子分の厳格な上下関係(擬制的血縁関係による家父長制)、縄張りなど、共通する経営システムがある。
それは、日本の伝統的な経営原理であって、社会のあらゆる組織に浸透していた。
たとえば、盲人(視覚障害者)の組織にも、親分・子分関係、縄張りはあった。
だから、親分と子分がいて、縄張りがあるからヤクザだというのは大間違いだ。

戦後の新宿の闇市マーケットを仕切った「尾津組」「野原組」「和田組」「安田組」は、テキヤ(的屋)の人たちであって、ヤクザ(博徒)ではない。
本来、テキヤとヤクザは、まったく仕事が違う。
テキヤの仕事は、本来、露店商の場所(ショバ)割と営業を管理をして、「ショバ代」を稼ぐことで成り立つ。
ヤクザの仕事は、賭場を運営し、賭博を開帳して、寺銭(てらせん)を稼ぐことだ。
彼らの言葉で「稼業違い」である。
なにより大きな違いは、賭博は平安時代の昔から近・現代までほぼ一貫して「ご禁制」(非合法)だが、露店商は場所の制約が課されることはあれ合法的な存在だ。

営業種目だけでなく、親分・子分の筋目(系統)も違い、混じることはなかった。
そうした区分はだいたい「昭和」までは、はっきりしていた。
テキヤの大親分がヤクザの大親分と「親戚」の盃を交わすようなことは、本来はしない。

だから、戦後の混乱期の新宿を考えるとき、テイヤとヤクザの違いをちゃんと区別しないと、大きな誤解が生じることになる。

「そんなこと言って、闇市自体がぜんぶ非合法じゃないですか!」と言う人は、山口良忠判事のように配給食糧だけで生活して飢え死にしてください。

たしかに、現在、警察から「暴力団」の指定を受けている団体には、テキヤ系の組織もある(極東会とか)。
しかし、それは変質した姿であって、本来の形ではない。
さらに言えば、そうした変質(一部のテキヤのヤクザ化)には、平成3年(1991)の「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」がかなり関係していると思う。
つまり、テキヤ系もヤクザ系も区別なく「暴力団」として見なす警察の取締り姿勢が、テキヤとヤクザの混合を招いたとも言える。

こういうこと、私くらいの世代なら知っている人は知っていることだが、だんだん知らない人が増えているのだなぁと感じたので、書き止めておく。

私の場合、「テキヤとヤクザは、もともとぜんぜん違うんだよ。『どこが違う?』って稼業(仕事)が違う。同じように強面(こわもて)に見えるからって、同じだと思ちゃあいけないよ」と、「若い者に跡目を譲って隠居した」テキヤの「大将」(親分)から直に教えてもらった。

「どこで教わった?」って、それはここでは書けないけどね。

【追記(7日)】
私は、いちおう歴史研究者のつもりなので(そう扱われることは少ないけど)、フィクションを使って論じるのは、できるだけしないようにしているのだけど、この問題(テキヤとヤクザの違い)を理解するには、映画「男はつらいよ」シリーズ(山田洋次監督、渥美清主演、松竹、1969~95年)が最適かも。

「フーテンの寅」の二つ名(通称)をもつ車寅次郎は、で日本全国の祭りや縁日を渡り歩き、いろいろな商品(その時々で違う)を「啖呵売(たんかばい)」の手法で売る渡世人で、その稼業はまさにテキヤ(的屋)だ。
じゃあ、「寅さんはヤクザか?」と尋ねると、ほとんどの日本人は「違う」と答えると思う。
(そもそも「寅さん」を知らない若い人が増えてきていて、この設問が通用しなくなって困るのだが・・・)
まあ、「寅さん」で描かれているテキヤは、昭和後期のテキヤ像としては、あまりに牧歌的なのだが・・・。


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コメント 8

西村文恵

テキヤというのはヤクザの部分集合のようなものかと思っていました。違う「職種」だったのですね。
分かりやすくて勉強になりました。有り難うございました。
by 西村文恵 (2014-09-06 17:26) 

三橋順子

西村文恵さん、いらっしゃいま~せ。
本来、建前的には「稼業違い」の別集団ですが、昭和戦後期の実態はだいたい20~30%くらいが重なっているイメージです。
そして平成になって、さらに重なりが大きくなっていったということだと思います。

by 三橋順子 (2014-09-07 18:36) 

あやかをり

ショバ代を取るのは同じだからテキヤもヤクザの一部と思ってしまいますが、言われてみれば違うんですね。

何故かイスラエルの研究者がこれを指摘・分析してるのが不思議ですが↓
(私は佐藤優氏の本で知りました)
Jcob Raz 『ヤクザの文化人類学 -ウラから見た 日本』 Anthropology of Yakuza

なお、文中の尾津組の親分は預金封鎖の際に「大蔵省を焼打ちする!」といきまいたという話を読んだことがあります。
(蔵相の渋沢敬三が説得したとか)
by あやかをり (2014-09-07 23:20) 

きとらねこ

いつも興味深く楽しく読んでます。
九月は方々の秋祭りでテキヤさんの活躍する時季ですね。
テキヤ映画で思い出すのが、先日亡くなった鈴木則文監督、菅原文太主演の「関東テキヤ一家」です。今や語られることのないシリーズ映画ですが、フーテンの寅さんを意識しながら、寅さんでは殆ど触れられない「テキヤ」の生態(地元の親分への挨拶から、商品の仕入れ等)を詳細に描いた作品でした。秩父の夜祭りや西大寺の裸祭りが舞台になっていて、お祭り気分満点。後の「トラック野郎」シリーズに繋がる威勢のいい映画でした。
他に高倉健主演の任侠映画で、ヤクザの健さんがテキヤに弟子入りしようと仁義を切ると、藤純子のテキヤの娘に「ご家業違いです。この家は神農道を信奉しております」みたいな口上で断られる場面がありました。昔の映画はさりげなく勉強になります。
by きとらねこ (2014-09-07 23:46) 

三橋順子

あやかをりさん、いらっしゃいま~せ。
>ショバ代を取るのは同じだから
ショバ代は「縄張り」という発想が根本にあるので、その点でテキヤとヤクザが共通しているのだと思います。

>何故かイスラエルの研究者がこれを指摘・分析してるのが不思議です
テキヤ、ヤクザ、芸者、ホステスなどのフィールドワーク研究は、外国人研究者の業績がけっこう多いです。
日本人の研究者が、(最近まで)手をつけなかった分野なので・・・。
by 三橋順子 (2014-09-08 04:21) 

三橋順子

きとらねこさん、いらっしゃいま~せ。
そうですね、「寅さん」は、テキヤの生態の肝心な部分は描いていません。
映画の情報ありがとうございます。
私は、映画をあまり見ないので、とても助かります。
「関東テキヤ一家」は見てみたいです。
それから藤純子演じるテキヤの娘の「ご稼業違いです」の台詞、まさに私が言いたいことを、一言で表しています。
by 三橋順子 (2014-09-08 04:30) 

Gen

昔独身時代、同じ職場で働いていた女の子に連れられて夏だけ浜辺で営業する知る人ぞ知るバーがありました。
周りには何にもない、遊泳禁止区域でしたので、ほんとに地元の、しかも一部の人間にしか知られていない店で、浜辺に屋台を出す感じでやっていました。
普段通る道でもないですが、それから何度か飲みに行った記憶があります。
ある晩、そこで飲んでいると、「お姉さん、今日俺すごくいいことがあったんで一緒に飲んでもいいですか?」と30代くらいのお兄さんに誘われました。
御馳走するのでなにか、と言われましたが、あいにくあまりお酒が強くなくてカルーアミルクを頼んだら少し機嫌を害したようでしたが、普通に飲み始めました。
マイルスデイビスの話をしたような記憶があります。
たぶん、そこでかかっていた音楽のせいでしょう。
お兄さんも彼の音楽が好きだったらしく、「言ってること分かります」とうなずいたりコメントを挟みながら私の長話に付き合ってくれました。
しばらくして話が途切れた時、側に来た連れの若い男性に「親父はどうしてる?」と言うのを聞いて、私は初めて相手が誰か悟りました。
お兄さんはその地域では有名な「○○一家」のエライ人だったのです。
年齢からすると若頭という感じでしょうか。
実はそこの組長の奥様が勤め先の店をごひいきしていただいていたので、その「親父さん」に何度かお目にかかった事があります。
と言っても新人の私は遠くから眺めてるだけで、実際に奥様のお相手をしていたのは店長で、組長のネクタイの柄をほめる声が少し震えていたのを思い出します。
組長さんはサングラスをかけていて奥様同様恰幅がよく、黙って奥様の買い物をする様子を眺めていました。
そういう事を頭の中で思い出しながらしばらくすると私は帰る時間になったので「じゃそろそろ時間なんで帰ります」と挨拶すると、お兄さんはうんうんとうなずいて手を振ってくれました。
なんだかとても幸せそうで、あのあと子分さんがお兄さんの面倒をみたのでしょう。
全然怖くなかったけど、出会い方が悪ければ怖い目にもあったのかぁ、と思います。
彼は人を殺した事があるような、あるいはそういう場面になったら多分躊躇なく人を殺すんだろうなぁ、という目をしていました。
ああいう人に会ったのは後にも先にもあれが初めてで、最近しきりにあのお兄さんはどうしてるだろうか、と思い出します。


by Gen (2014-09-09 00:21) 

三橋順子

Genさん、いらっしゃいま~せ。
ヤクザ稼業の人が、いつも常に「コワい」人かと言うと、そうではないのです。彼らにも彼らなりの日常があり、感情・人間性があるのです。
それらをまったく認めないで、全否定してしまったのが「暴対法」で、彼らを追い詰めるだけ追い詰めてしまうのは、あまり賢いやり方ではないと、私は思います。
by 三橋順子 (2014-09-13 15:32) 

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