「象牙海岸」はいつ「コートジボアール」になったのだろう? [世相]
6月13日(金)
サッカーW杯で日本と対戦するコートジボアール共和国(République de Côte d'Ivoire)は、私が世界地理の勉強をした頃(1960年代後半)には「象牙海岸共和国」と教わった。
いつ「象牙海岸」が「コートジボアール」になったのだろう?
調べてみたら、同国政府が、翻訳国名(象牙海岸)ではなく、フランス語国名(Côte d'Ivoire)の使用を各国に要請したことが契機とのこと。
ただ、その時期がはっきりしない。
記憶をたどっても朧だ。
中・高校時代はまちがいなく「象牙海岸」だったが、大学院時代(1980年代)にはもう「コートジボアール」になっていたような気がするが・・・。
その間、大学時代だとすると、1970年代後半のことだろうか?
それと、もう1つの疑問は、この国がフランスの植民地で、1960年に独立した後もフランス語が公用語で、正式国名の「République de Côte d'Ivoire」もフランス語だ。
なのになんでカタカナ読みの「コートジボアール」になるのだろう?
私はフランス語はまったくできないが「コートジボアール」がフランス語の発音とかなり遠いことくらいはわかる。
受け売りだが、「コット・ディヴワール」が正しい発音に近いらしい。
訛っても「コット・ディヴォアール」だと思う。
明治時代じゃああるまいし、なぜ外務省は「コートジボアール」という表記にしたのだろう?
ところで、ギニア湾岸西部のこの地域が、英語で「「Ivory Coast(アイヴォリーコースト)」=「象牙海岸」と呼ばれたのは、植民地時代の主要産品が象牙だったから。
現在では、ワシントン条約で、象牙の貿易はご禁制だが、当時はさかんに輸出されていた(日本も輸入消費国)。
同じように、「象牙海岸」の西隣は「胡椒海岸(Pepper Coast)」もしくは「穀物海岸(Grain Coast)」(現在のリベリア共和国)、東隣は「黄金海岸(Gold Coast)」(現在のガーナ共和国)、さらにその東は「奴隷海岸(Slave Coast)」(現在のトーゴ、ベナン、ナイジェリア西部の海岸地帯)と呼ばれていた。
ギニア湾岸には、西から胡椒海岸(穀物海岸)、象牙海岸、黄金海岸、奴隷海岸と並んでいたわけで、地名の付け方からも、いかにヨーロッパ人がアフリカを(人間も含めて)「資源」としてしか見ていなかったかが、よくわかる。
植民地帝国主義の記憶を止めるこれらの地名を覚えている人は、もう数少ないと思う。
サッカーW杯で日本と対戦するコートジボアール共和国(République de Côte d'Ivoire)は、私が世界地理の勉強をした頃(1960年代後半)には「象牙海岸共和国」と教わった。
いつ「象牙海岸」が「コートジボアール」になったのだろう?
調べてみたら、同国政府が、翻訳国名(象牙海岸)ではなく、フランス語国名(Côte d'Ivoire)の使用を各国に要請したことが契機とのこと。
ただ、その時期がはっきりしない。
記憶をたどっても朧だ。
中・高校時代はまちがいなく「象牙海岸」だったが、大学院時代(1980年代)にはもう「コートジボアール」になっていたような気がするが・・・。
その間、大学時代だとすると、1970年代後半のことだろうか?
それと、もう1つの疑問は、この国がフランスの植民地で、1960年に独立した後もフランス語が公用語で、正式国名の「République de Côte d'Ivoire」もフランス語だ。
なのになんでカタカナ読みの「コートジボアール」になるのだろう?
私はフランス語はまったくできないが「コートジボアール」がフランス語の発音とかなり遠いことくらいはわかる。
受け売りだが、「コット・ディヴワール」が正しい発音に近いらしい。
訛っても「コット・ディヴォアール」だと思う。
明治時代じゃああるまいし、なぜ外務省は「コートジボアール」という表記にしたのだろう?
ところで、ギニア湾岸西部のこの地域が、英語で「「Ivory Coast(アイヴォリーコースト)」=「象牙海岸」と呼ばれたのは、植民地時代の主要産品が象牙だったから。
現在では、ワシントン条約で、象牙の貿易はご禁制だが、当時はさかんに輸出されていた(日本も輸入消費国)。
同じように、「象牙海岸」の西隣は「胡椒海岸(Pepper Coast)」もしくは「穀物海岸(Grain Coast)」(現在のリベリア共和国)、東隣は「黄金海岸(Gold Coast)」(現在のガーナ共和国)、さらにその東は「奴隷海岸(Slave Coast)」(現在のトーゴ、ベナン、ナイジェリア西部の海岸地帯)と呼ばれていた。
ギニア湾岸には、西から胡椒海岸(穀物海岸)、象牙海岸、黄金海岸、奴隷海岸と並んでいたわけで、地名の付け方からも、いかにヨーロッパ人がアフリカを(人間も含めて)「資源」としてしか見ていなかったかが、よくわかる。
植民地帝国主義の記憶を止めるこれらの地名を覚えている人は、もう数少ないと思う。
2014-06-13 15:56
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1970年の大阪万博で『象牙海岸館』を訪れました。
その時は小学校2年。当然、何のことかさっぱり解らずに。
後に地図帳を見て国の名前ということを知ったのですが、小学校の時は間違いなく『象牙海岸』と表記されていました。中学の時ははっきり憶えていないのですが、高校では『コートジボアール』になっていました。
ですので仰られているように、1970年代後半ぐらいに変更されたのではないかと思います。
地名は昔に習ったものが今では通じないことが多々ありますね。
『揚子江』も今の子供たちは知らないんじゃないかも…。
by NO NAME (2014-06-14 00:47)
上記のコメント、名無しにしてしまいました!
by 木下有香子 (2014-06-14 00:49)
木下有香子さん、いらっしゃいま~せ。
記憶情報ありがとうございます。
私も思い出しました。1970年の大阪万博では、たしかに「象牙海岸館」でした。
やはり1970年代後半~80年代初頭ぐらいに変更された可能性大です。
そうか、「揚子江」、今の学生には通じないのか・・・。
神田神保町には中華の老舗の「揚子江菜館」あるのですが・・・。
by 三橋順子 (2014-06-14 01:01)
こんばんは。
私が持っていた、学研の「学習百科大事典」の
「世界の地理・世界の歴史」の巻では
「コートジボワール」となっていました。
発行年月がいつだったのかは、
本が手元に残っておらず、正確にはわかりませんが
スリナム、コモロは独立国として載っていたものの
国旗は「正確な図案を入手できず」的なコメントがついていて不掲載だったこと、
ベトナムが南北に分かれていたことは
はっきりと覚えているので1975~6年頃の版だと思われます。
というわけで曖昧ながらご参考まで。
by 東スポ読者 (2014-06-15 02:38)
再度失礼します。
上記で「コートジボワール」と書きましたが
「コートジボアール」だったような気もするので
その辺りは曖昧ですが
「象牙海岸」でなかったことは確かです。
by 東スポ読者 (2014-06-15 02:42)
東スポ読者 、いらっしゃいま~せ。
有力な情報、ありがとうございます。
スリナムとコモロの独立は1975年、南北ベトナムの統一が1976年ですから、おっしゃる通り75~76年の状況を記した本ですね。
そうなると、「象牙海岸」から「コートジボアール」への改称は1970年代後半というより、1970年代中頃以前、1970年(大阪万博)以後という感じになりそうです。
by 三橋順子 (2014-06-15 03:23)
私は、1974年生まれなのですが、小学校の地図帳には、
「コートジボアール」で載っていました!
by ライチ (2014-06-16 14:46)
ライチさん、いらっしゃいま~せ。
1980年代初頭には、もう「コートジボアール」だったということですね。
by 三橋順子 (2014-06-19 03:59)
そもそもコートジボアールはフランス語で象牙海岸共和国ですよ。
コート(海岸)ジボアール(冠詞?+象牙)ですから。
隣の国のガーナは英語ですが、ガーナではコートジボアールの事アイボリーコーストって呼んでますし。
意味は同じですよ。
ただ、なんでカタカナにしたのかはわかんないです。
by ばんばん (2019-07-23 19:57)