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「私の軌跡-順子のできるまで-」 [連絡先・プロフィール]

私の軌跡 -順子のできるまで-

(0)子どもの頃
1955年(昭和30年)、埼玉県秩父市の比較的恵まれた家庭の長男として生まれる。
少年時代~思春期は、勉強とクラブ活動とスポーツに明け暮れる「普通の男の子」だと、自分では思っていた・・・が。
今になって振り返ると、性別に対する違和感がときどき頭を浮かべることがあったように思う。
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↑ 6歳の頃、避暑先の千葉県館山で(1961年8月)

(1)性別違和感の自覚と女装技術の習得
21歳のころ、心の中の「もうひとりの私(女性人格)」の存在に気づいた。
30歳で初めの異性装を経験し、「もうひとりの自分」が実体化する。
そしてその「女性」に「順子」と名前をつけた。
35歳から東京の女装クラブ「エリザベス会館」に通い、本格的に異性装の技術を習得する。
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↑ 「エリザベス会館」に通いだした頃(1990年11月)
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↑ 初めての着物。遅い遅い「成人式」(1991年1月)
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↑ サマー・パーティ(全日本女装写真コンテスト表彰式)で(1993年8月)
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↑ 初めての旅行(1993年9月:榛名湖)
右下のモノクロ写真は中学1年生の修学旅行で榛名湖に行ったとき。後列右端が私。

(2)「競技女装」に打ち込む
「エリザベス会館」では「競技女装」(女装者のミスコン)に打ち込み、1992・93年には「全日本女装写真コンテスト」の最多得票特別賞を連続受賞するなどの第一線で活躍した。
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↑ 1990年度「全日本女装コンテスト」で新人賞(1990年12月)
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↑ 1991年度「全日本写真女装コンテスト」で準大賞(1991年8月)
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↑ 1993年度「全日本写真女装コンテスト」で最多得票特別賞・準大賞・写真技術賞の「三冠」(1993年8月)

(3)より広い世界を求めて -外出を始める-
女装技術を習得し、「競技女装」でそれなりの評価を得たことで、容姿コンプレックスが解消されると、より広い世界の中に「女」としての自分を置いて見たくなった。
エスコートしてくれる男友達もでき、1993年の秋頃から外出が増えていく。
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↑ 相模湖で(1993年11月)
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↑ 横浜ベイブリッジで(1994年4月)     
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↑ 亀戸天神「藤祭り」で (1994年5月) 
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↑ 浅草寺「ほうずき市」で(1995年7月)
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↑ 大阪京橋で(1994年10月)   
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↑ 六本木で(1994年11月)   
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↑ 新宿でボーリング(1995年12月)

(4)「Club Fake Lady(CFL)」を主宰
1995年頃から、活動拠点を新宿の女装コミュニティに移し、自由でアクティブな社会性のある女装活動を目指し、イベントや女装旅行などを企画する親睦団体「Club Fake Lady(CFL)」を主宰する。
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↑ 「Fake Lady1」(1995年4月)
「Fake Lady」は、秋本明香、岡野香菜、葉月など美人ホステスをそろえた仮想現実空間の「お店」。
一夜の客は72名を数え、「伝説の模擬店」として新宿女装世界に語り伝えられた。
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↑ 新年会(1997年1月)                    
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↑ 屋形舟ツアー(1997年8月) 
セクソロジーの世界的権威ミルトン・ダイヤモンド博士(ハワイ大学教授)を囲んで
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↑ 那須高原旅行(1997年10月)
この旅行に取材した映画「We are Transgenders」(尾川ルル監督)が第7回東京レズビアン&ゲイフィルムフェスティバル」(1998年5月)でグランプリを受賞。
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↑ 東伊豆旅行(1998年11月)
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↑ 長良川・明治村旅行(2000年6月)

(5)ネオンの似合う「女」になる
1995~2001年までの6年間、新宿歌舞伎町の女装スナック「ジュネ」、ニューハーフ・パブ「MISTY」などでゲスト・スタッフ(ホステス)を務めた。
歌舞伎町の「夜の女」としていろいろな体験は、世の中の裏と表を見る目を養えたという意味で、私にとって大きな財産になった。
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↑  『週刊SPA!』 の取材(1997年4月、新宿歌舞伎町で) 
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↑ 自宅玄関で、これから「出勤」(1997年10月)
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↑ 新宿歌舞伎町「ジュネ」で(1997年11月)
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↑ 新宿歌舞伎町「MISTY」で(1999年9月)
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↑ 新宿歌舞伎町「ジュネ」で(1999年11月) 

(6)トランスジェンダーの当事者として語る
1995年頃から、MtFTG(Male to Female Transgender)としての社会的活動を開始し、性的マイノリティの立場からジェンダーやセクシュアリティの問題を中心に、テレビ、雑誌などのメディアや各種の講演会、座談会を通じて積極的に発言し始める。
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↑ 『サンデー毎日』1998年3月1日号
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↑ 初めてのトークライブ (1996年3月) マーガレット小倉さんと   
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↑ 『サンデー毎日』のカラーグラビア撮影(1997年7月:新宿御苑)   
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↑ 『AERA』の取材(1997年12月:代々木公園) 
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↑ 藤原和博さん「よのなか科」のゲスト講師(2001年9月:足立区立第11中学校)
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↑ 足立区立第11中学校「学芸発表会」(2001年10月) はるな愛さんと
                  
(7)「女性」研究者として再スタート
1998年「性の多層構造論」を提唱して注目され、1999年2月には「戦後日本〈トランスジェンダー〉社会史研究会」(代表:矢島正見中央大学教授)を結成し、トランスジェンダー(異性装・性転換)の社会史的研究に本格的に取り組み始める。
同年10月には日本社会学会大会シンポジウムで研究報告を行った。
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↑ 日本社会学会大会シンポジウム(1999年10月)          
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↑ 『戦後日本女装・同性愛研究』(2006年3月・中央大学出版部) 
「戦後日本〈トランスジェンダー〉社会史研究会」の成果をまとめた618頁の大著。
日本社会病理学会の学術奨励賞を受賞。

(8)「女性」教員として大学の教壇に立つ
2000年4月、「三橋順子」として中央大学文学部兼任講師(社会学)に任用され「現代社会研究(5)」の講義を担当し、日本初のトランスジェンダー(MtF)の大学教員となった。
2005年度には、お茶の水女子大学非常勤講師として、専論講座としては日本初となる「トランスジェンダー論」の講義を担当した。
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↑ 『FLASH』2000年10月11日号
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↑ 中央大学での初講義の日(2000年9月)
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↑ 「現代社会研究5」の受講生たちと(2000年9月)
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↑ お茶の水女子大で(2006年1月)

(9)海外に視野を広げる
2003年頃から、海外のシンポジウムや学会に招かれるようになる。
台湾国立中央大学性/別研究室主催の「国際シンポジウム:跨性別新世紀」(2003年12月:中壢)、第1回アジア・クィア・スタディーズ学会(2005年7月:バンコク)、第4回アジア・カルチュラル・スタディーズ学会(2005年7月:ソウル)、チュラーロンコーン大学&大阪大学共同開催シンポジウム「着衣する身体と異性装 -日・タイの比較-」(2010年1月:バンコク)、「WPATH 2014 Symposium in Bangkok:Trans People in Asia and the Pacific」(2014年2月:バンコク)などで、日本のトランスジェンダー事情について報告し、海外のトランスジェンダー事情との比較についての知見を得た
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↑ アジア・クィア・スタディーズ学会(2005年7月:バンコク)
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↑ チュラーロンコーン大学(2010年1月:バンコク) 
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↑  「WPATH 2014 Symposium in Bangkok」(2014年2月:バンコク)

(10)着物の世界へ
着物は「エリザベス会館」時代から好きだった。
着物への思いは、母の死(1994年12月)をきっかけに強まって行った。
初めて自分の着物を作ったのが1995年。
しばらく着付けてもらっていたが、2000年、着物の着付け技術を習得して、ますます着物の世界にのめり込んでいった。
着物を通じて、多くの女性の友人を得ることができた。
彼女たちと共に過ごす時間は、単に楽しいだけでなく、「女性」として社会の中に身を置き、「女性」としての関係性を築く絶好のトレーニングになった。
着物への愛着は、単なる趣味に止まらず、故郷の絹織物である銘仙の社会史研究につながっていく。
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↑ 初めて作った着物、黒地に金の竹の訪問着(1995年12月)
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↑ 自分の振袖でお年始廻り(1997年1月)
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↑ 男友達の家で(1999年10月)
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↑ 着付けの先生・牧紀子さん(中)と相弟子の小谷真理さん(左)と(2000年7月:浅草寺)
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↑ 大分別府・浜脇温泉。優子さんと(2007年2月)
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↑ 下田黒船祭・着物ファッションショー、牡丹の柄の伊勢崎銘仙(2007年5月)
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↑ 憧れだった「出の意匠」の芸者姿(2008年1月:別府浜脇温泉「二幸荘」)
国際学会での報告の際にトップ画像として使うと好評。
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↑ いちばんのお気に入りの松葉の柄の足利銘仙(2008年1月:大宰府天満宮)
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↑ 椿の柄の足利銘仙で優子さんと(2009年12月:神楽坂)        
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↑ 日本髪を結って初詣。にしやん(中)、sakuraさん(右)と(2009年1月:築地・波除神社)
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↑ 国際学会にも着物で(2010年1月:バンコク・チュラーロンコーン大学)

(11)社会的性別の「女性」への移行
1999年夏頃から、身体の女性化(女性ホルモンの継続投与、髭や体毛の永久脱毛)を始める。
2005年から髪を伸ばし始め、2008年に社会的性別をフルタイム(仕事も日常も)女性に移行した。
「望みの性別」での生活を得られたことで、長年、悩んできた性別違和感が大きく軽減し、精神的に安定した。
その結果、仕事も生活も充実していく。
これも家族の理解があってこそで、なにより感謝している。
私がプロフィールの最後に「宝物はパートナー(女性)と一人息子」と書くのはそういう意味だ。
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↑ こんな身体に落ち着いた(2009年10月)
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↑ 髪はこんなに伸びた(2013年1月)

今の楽しみは、年に数回、パートナーとあちこち旅行すること。
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↑ 2010年夏、パートナーと島根県・石見銀山へ
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↑ 2011年正月、パートナーと奈良へ初詣(春日大社)
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↑ 2012年春 パートナーと伊豆・下賀茂温泉へ
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↑ 2012年夏の家族旅行(福島県・湯之上温泉駅)
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↑ 2013年春 パートナーと福島県三春の瀧桜へ
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↑ 2013年夏の家族旅行(北海道・函館山)
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↑ 2014年夏 パートナーと伊予大三島へ
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↑ 2014年冬 パートナーと京都へ(平安神宮)
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↑ 2015年春 パートナーと伊豆・下賀茂温泉へ
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↑ 2017年夏 パートナーと長野県白馬村へ
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↑ 2018年夏 パートナーと福井県東尋坊へ(新婚旅行の再訪)

(12)トランスジェンダー研究者として 
2008年9月には、初の単著『女装と日本人』(講談社現代新書)を刊行し、「橋本峰雄賞」(一般社団法人現代風俗研究会)を受賞。2018年には、新宿のセクシュアリティ史研究をまとめた『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書)を刊行、2022年にはジェンダー&セクシュアリティ史の論考を収録した『歴史の中の多様な「性」―日本とアジア 変幻するセクシュアリティ―』を出版。
現在は、明治大学(ジェンダー論)の非常勤講師を務めながら、トランスジェンダーをめぐる社会・文化史の研究と著述に専念している。
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↑ 『女装と日本人』(2008年)
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↑ 『性的なことば』(2010年)  
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↑ 『岩波講座 日本の思想 第5巻 身と心』(2013年)  
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↑  「WPATH 2014」に参加(2014年2月・バンコク)
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↑ 編著『性欲の研究 東京のエロ地理編』(2015年3月)
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↑ 「GID(性同一性障害)学会」第17回研究大会で基調講演(2015年3月:大阪府立大学)
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↑ 『新宿「性なる街」の歴史地理』(2018年)
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『歴史の中の多様な「性」―日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』(岩波書店、2022年)。

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↑ 『これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論入門』
(辰巳出版、2023年12月)

おわりに
私の場合、最初から性別移行を目指したわけではない。
若い時は、いろいろ悩み苦しみながら、自分を探していた。
少しでも楽になれる、自分らしくいられる場所を求めて、先が見えない暗い細い道を一人で歩いて来たような気がする。
結局、自分の性別への違和感を自覚してから「望みの性別」での生活を手に入れるまで30年以上かかってしまった。
現在の性同一性障害者たちが2~3年で戸籍の性別を変更するのとは大違いだ。
でも、そんな人生、後悔はしていない。
その間に経験した様々なことから得られたものが大きかったし、なによりその時々で充実していたし、楽しかったから。

私が「順子」の名で最初に書いた文章は『魅惑のランジェリー』という女性下着マニアの雑誌だった。
そこから出発して『岩波講座 日本の思想』に至るまでに22年かかった。
男性から女性への移行というだけでなく、こういうキャリアをもつ研究者はたぶんいないと思う。
それが私の個性であり、強みだと思っている。

2015年5月、還暦(満60歳)を迎えた。
残りの人生、長くはないが、一人のトランスジェンダーが、どこまで行けるか、チャレンジを続け、研究者として日本におけるトランスジェンダー・スタディーズの基礎を構築したいと思っている。
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↑ 還暦記念旅行(2015年5月16日、岩手県花巻・大沢温泉)
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↑ 通勤途上で(2015年6月11日、東京国分寺市) 
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↑ もうすぐ68歳(2023年3月29日、目黒川で)      
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