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「大仏鉄道」で誘客 木津川・奈良両市、遺構活用へタッグ [日常(子供・鉄道)]

3月15日(土)
この「大仏鉄道」(関西鉄道大仏線)、明治31~40年(1898~1907)のにわずか9年間運行しただけで、すでに廃線から107年も経っているのに、異例と言っていい程、遺構の残存状態が良く、「鉄道廃線好き」の間では、よく知られていた。
大仏鉄道遺構.jpg
↑ まるで今でも汽車が通りそうな橋梁(梶ケ谷トンネルの西)
関西鉄道株式会社は、明治21年(1888)3月1日に前島密(1835~1919)を社長として創立され、明治23年(1890)2月19日には三雲~柘植間(現在のJR草津線)を、明治28年(1895)には名古屋から柘植を経て草津までの路線を全通する。

さらに大阪までの延長を目指し、明治33年(1900)年には、奈良駅・天王寺駅経由の現在の関西本線ルート、湊町駅(現JR難波駅)~名古屋駅の路線を完成させた。
そして、京都経由の官営鉄道東海道線と名古屋~大阪間の客をめぐって、熾烈な旅客獲得競争(スピード、料金)を展開する。
その競争は、明治40年(1907)10月1日の鉄道国有化法により、関西鉄道株式会社が国有化されてしまうことで幕を下ろす。
以後、名古屋~大阪のルートは官鉄の京都経由東海道線がメインになり、旧関鉄の奈良経由のルートは裏道化してしまう。
現在の関西本線の「本線」とは名ばかりに零落ぶりは、その延長なのだ。
大仏鉄道地図.jpg
http://www.tetsuhai.com/daibutsu.html
大仏線地図2.jpg
関西鉄道は明治30年(1897)に上野~加茂間を開通し奈良を目指す。
木津経由のルートは奈良鉄道(現JR奈良線) が開業していたため、加茂から黒髪山をトンネルで抜けて奈良に至るルートを選択する。
このルートは、距離的には近いが急勾配という難点があった。
明治31年(1898)4月19日に大仏駅までが開通、翌32年(1899)5月21日には奈良駅に乗り入れ、加茂~奈良間の大仏線が全通した。
大仏駅は奈良市の奈良県立商科大学の北東付近に設置された。
奈良女子大学のキャンパスを北西に出て、佐保川を渡って少し西に行ったあたりだ。
東大寺の大仏殿へは東に1.8kmほど歩く必要があったが、伊勢や名古屋から方面からの大仏参拝客で賑わった。
大仏駅 (2).jpg
↑ 大仏駅の跡地の一部に「大佛鐵道記念公園」が設けられている
しかし、関西鉄道は明治38年(1905)に奈良鉄道を買収し、より平坦な木津経由のルートを手に入れる。
そして、明治40年(1907)8月21日、加茂~木津~奈良間の現JR関西本線のルートを開通させた。
同日、大仏線はその役割を終え、開業からわずか9年余りで廃止された。

つまり、「大仏鉄道」(関西鉄道大仏線)は、明治時代の関西の鉄道発達史の中で、木津川の谷から奈良山を越えて奈良へ入るルートの1つとして開通し、合併などによるルート変更の中で、短期間でその役割を終える。

(「大仏鉄道」関係年表)
明治21年(1888)     関西鉄道株式会社開業
明治30年(1897)11月11日 上野~加茂間開通
明治31年(1898)4月19日 加茂~大仏間(8.8km)開通。大仏駅開業
明治32年(1899)5月21日 大仏~奈良間(1.1km)開通
明治40年(1907)8月21日 加茂~木津~奈良間(現JR関西本線のルート)開通
同日            加茂~大仏間廃止
明治40年(1907)10月1日 関西鉄道株式会社国有化

今回、「大仏鉄道」の遺構が観光資源として評価されたことには、以前から遺構の保存と活用に尽力されていた方たちの存在が大きい。
「大仏鉄道研究会」http://www.eonet.ne.jp/~daibutu/
鉄道史、さらには地域開発の歴史を物語る歴史遺構として、永く保存し、積極的に活用して欲しい。
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幻の「大仏鉄道」で誘客 木津川・奈良両市、遺構活用へタッグ
20140315092313kidu.jpg
一時は解体の危機があった梶ケ谷隧(すい)道。れんが造りのレトロな雰囲気が来訪者の人気を集めている=木津川市鹿背山

一時は解体の危機があった梶ケ谷隧(すい)道。れんが造りのレトロな雰囲気が来訪者の人気を集めている=木津川市鹿背山 奈良・東大寺への参拝者を運んだ明治期の「大仏鉄道」の遺構を観光資源として生かそうと、かつて汽車が走っていた京都府木津川市と奈良市がタッグを組んでPRを始める。明治期に開業し、9年で廃止された「幻の鉄道」の遺構周辺に共通の案内看板を設置し、観光客の呼び込みを狙う。両市は「府県を越えた取り組みで、新たな観光客を掘り起こしたい」としている。

大仏鉄道は、当時の私鉄「関西(かんせい)鉄道」が、大仏参拝に向かう観光客誘致のため1898(明治31)年に開通させた。現在のJR加茂駅(木津川市加茂町)とJR奈良駅(奈良市)を結ぶ約10キロで、英国から輸入した赤い蒸気機関車が走っていた。しかし、新路線の登場などで乗客が減少。9年後の1907(明治40)年に廃止された。

100年以上たった現在も、両市には約10カ所でれんが造りのトンネルや橋が残り、市民団体「大仏鉄道研究会」などが保存に取り組んでいる。木津川市鹿背山では、関西学研都市・木津中央地区の道路整備に伴い遺構が解体される恐れもあったが、地元との協議で2011年に現状保存が決まった。

計画では、案内看板設置のほか、遺構の場所や大仏鉄道の歴史を記したマップ状のパンフレットを2万部作製する。木津川市は、当初予算案に142万円を計上。奈良市は130万円を盛り込んだ。

木津川市観光商工課は「観光客の目線に立った一体的な取り組みで、地域の魅力発信につなげたい」と意気込んでいる。
『京都新聞』 2014年03月15日 09時28分
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20140315000019
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