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6月9日(日)初めての沖縄(3日目の3:真珠道) [旅]

6月9日(日)
(続き)
1人になったのは「金城町の石畳道」を歩いてみたかったから。
南側から首里城のある台地に上るこの道は「真珠道(まだまみち)」の一部で、明・清の冊封使が那覇港から首里城を目指した。
真珠道は、那覇港南岸から屋良座森城( ヤラザムイグシク)から、国場川の南岸を東に向かい真玉橋を渡り小禄を抜け識名坂・金城坂を通り首里城に至る総延長約10kmの琉球王国の官道。
琉球王国尚真王の治世である1522年に建設が始まった。

上部(首里城の直下)は等高線に沿った緩やかな坂道だが…。
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道沿いには熱帯の花が咲く。
これは「沖縄三大名花」のひとつサンダンカ(アカネ科)。
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日本の古道とは、周囲の植生が異なるので、雰囲気がまったく違う。
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やがて、道は等高線にほぼ直交する形になり傾斜がきつくなる。
両側には古い石垣で囲われた家。
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こんな急坂を上る冊封使一行も大変だったろう。
冊封使は輿に乗っているからいいだろうけど、担ぐ人たちが。
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↑ 「冊封使行列図」(沖縄県有形文化財)。
でも地元のご婦人は急坂をトコトコ上っていく。
早くはないが着実な歩みで。、
道路の敷石は琉球石灰岩の平石。
雨が多く土壌浸食が激しい琉球では、敷石でしっかり舗装しなかったら、こんな急傾斜の道は維持できなかっただろう。
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道を左に逸れて内金城御嶽(うちかなぐすくたき)の大アカギを見る。
樹高は20m以上、樹齢は200年以上。
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内金城嶽は、古記録に記載がある古い御嶽。
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こちらは小嶽。崖の所に穴と拝所がある。
270年以前から続く、旧暦12月8日の鬼餅行事(ムーチー)由来の場所。
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日本の神社とは微妙に違う。日本の神社は本来、風(気)の通りが良い「浄地」に立地するが、沖縄の御嶽は霊気が溜まる雰囲気がある。
道はますます急傾斜になる。
不規則な石段の連続で、かなり足が痛くなる。
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途中の「金城村屋」で休憩。
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本当は横になりたいぐらい疲れていたが、眠ってしまうと困るので、履物を脱いで縁側に足を上げて疲労を取る。
風がよく通る伝統的な琉球家屋で夕風が心地よい。
「金城村屋」に隣接する「金城大樋川」。
琉球石灰岩の台地の裾から湧き出る水が村人の生活を支えてきた。
冊封使一行の人や馬も、ここで休憩して最後の急坂に備えて水を補給したと思う。
大切な水場はしっかり石で固められている。
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やっと、石畳道の上り口まで下ってきた。
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金城川が流れている。
この川を下れば泊港。
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王宮への道にかかる金城橋の装飾に、かっての王国の繁栄がしのばれる。
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時刻は17時半、沖縄の遅い日暮れにはまだ間があるが、もう体力的に限界。
タクシーを拾って、ホテルに直行。
18時、ホテルに戻る。
夕食を食べに出るまで1時間ほど一眠りと思ったら、目が覚めたら22時半だった。
4時間以上も眠ってしまった。
NHKテレビの韓国ドラマ「トンイ」を見て、また眠ってしまう。
就寝、0時半。

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