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6月9日(日)初めての沖縄(3日目の1:南部へドライブ) [旅]

6月9日(日)  晴れ  那覇  32.2度  湿度69%(15時)

7時、起床(ホテルJALシティ那覇)。
睡眠時間4時間半で寝不足。
シャワーを浴びて、髪を洗い、よくブローしてあんこを入れて頭頂部で結んでシュシュを巻く。
化粧と身支度。
白と黒のアニマル模様のチュニック(3分袖)、黒のレギンス(5分)、黒のサンダル、黒のトートバッグ。
9時過ぎ、ホテルのレストランで、朝食(バイキング)。
今日は和食(おかずは沖縄料理)にしてみた。
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11時、gid.jp沖縄支部のスタッフさん(2人)が迎えに来てくれる。
県庁前のホテルでgid.jpの山本蘭代表を乗せて那覇空港へ。
12時の飛行機で東京に戻る蘭さんを見送って、南部へドライブ。
昨夜、支部長のHさんにホテルまで送ってもらう途中、「明日は、どちらに行かれるのですか?」と尋ねられたので、「斎場御嶽に行ってみたいのだけど、バスの便がわからなくて」と言うと、「バスの便は悪いですよ。車、出しましょうか」と言ってくださったので、ありがたく甘えることにした。

途中、豊見城(とみぐすく)市を通過する。
私が中~高校生の頃、ここ(当時は豊見城村)出身の高校を卒業したばかりの女性がウチに住み込んで看護学校に通っていた。
たしか彼女がうちにいた3年間の間に沖縄が本土返還になった記憶があるので1970年代初めのことで、本土復帰に備えて沖縄の医療事情の改善のために、沖縄の少女を公費で本土の看護学校に「留学」させる事業だったと思う。
ウチには、私が生まれる前からずっと住み込みの看護婦さん(もしくはその見習い)がいて、私はそうした看護婦さんたちに背負われて育ったのだが、沖縄出身の彼女が最後だった。
私より4歳くらい年長だから現在60代前半のはずだ。
そんな思い出話をしながら「長嶺さんという人だったな」と言ったら、Hさんが「豊見城には長嶺という集落があって、長嶺という姓はとても多いですよ」と教えてくれた。
出身地にいるとは限らなきが、元気でいるだろうか?

331号線を南下し糸満市を過ぎて、有名な「ひめゆりの塔」がある公園の前を通過する。
かなり観光地化している様子。
悲惨な沖縄地上戦のことを大勢の人が知ることは、今の時代だからこそ必要なことだと思うが、私は観光の途中に立ち寄る気がしない。

道は東に転じて八重瀬町に入り「具志頭」(ぐしかみ)というところを通過。
「頭」を「かみ」と読むのは、なかなか難しいが、日本古代の官職制を知っていると、「ああ、なるほど」と思う。律令官司の「寮」の長官は「頭」と書いて「かみ」と読むからだ。
「内蔵頭(くらのかみ)」「主計頭(かずえのかみ)」「主税頭(ちからのかみ)」など
沖縄の地名は読むのが難しい。
琉球特有の発音が難読だ。
「読谷(よみたん)」くらいはまあなんとかなるけども、「真玉橋(まだんばし)」の「玉=だん」とか、「喜屋武(きゃん)」は、まず思い当たらない。
「具志頭」も現地音では「ぐしちゃん」らしい。
「保栄茂(びん)」(豊見城市)なんて漢字3字で2音というのはありえないだろう。
一方、「首里」とか「知念」とか音読の中国風の(中国の影響を受けた)地名も多い。
ところが、八重瀬町の「東風平」(こちだ)のような、日本の古語と同じ読みもある。
「東風」を「こち」と読むのは、「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」という菅原道真の歌でわかる。
地名にも表れている複雑な文化の融合が琉球なのだと思う。

南城市(なんじょうし、旧島尻郡佐敷町、知念村、玉城村、大里村が合併)に入ると、右手に青い太平洋が見えてくる。
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波が浜辺ではなく、少し沖で白く砕ける。
ああ、あそこから珊瑚礁があるのだなとわかる。
珊瑚礁がある部分の海の色は微妙に違う。
私は山育ちなのに海が好きなので、ゆっくり南の海を見ていたいけど、今回は時間がない。
いつか、実現したいと思う。

12時半、今日の目的地である沖縄県南城市(旧知念村)にある斎場御嶽(せーふぁうたき)に到着。
「せーふぁ」は「最高位」という意味なので、「斎場御嶽」は文字通り琉球王国「最高の御嶽」。
琉球全土の神女(ノロ)の頂点に立つ王国最高の神女である聞得大君(きこえのおおきみ)が管掌した御嶽で、聞得大君の就任儀式「御新下り(おあらおり)」が行われた御嶽でもある。
私は、母系制社会(母方の血縁が重視される社会)や双系制社会(母方と父方の血縁が同じ比重で扱われる社会)に強い関心がある。なぜなら、そうした母系制や双系制社会とMtF(男性から女性への性別越境者)とは親和性があるからだ()。
また、双系的社会では、男性と女性が「マツリゴト(政治・祭事)」を分掌するヒメ-ヒコ制がしばしば見られる。
双系的社会である古代日本(ヤマト王権)における大王(オオキミ)と大后(オオキサキ)の共同執政的なあり方は、ヒメ-ヒコ制として理解できる。
琉球王国の国王と聞得大君は、まさにヒメ-ヒコ制の典型であり、しかもヤマト王権では1200年前に消えてしまった(せいぜい奈良時代まで)ヒメ-ヒコ制が、つい数100年前まで機能していたわけで、とても興味がある。
で、短い日程の中で、なんとか斎場御嶽を見学したかったのだが…
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駐車場の入口で、管理者の男性に車を止められた。
「今日(9日)から11まで、お休みで入れません」
え~~! 
渡されたパンフレットをみると、たしかに「休息日 2013年6月9日~11日」と書いてある。半年に一度くらい3日間(日は決まっていない)、お休みするらしい。
不運としか言いようがないが、まあ仕方がない。
管理の男性に「だいたいどこらへんですか?」と聞いて写真を撮る。
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ここが入口、ここから常緑樹の森を上ってくと…、
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こういう場所に行けるはずなのだが…、来春、再チャレンジだ。

Hさんが、「明日の予定を繰り上げて首里に行きましょう」と言ってくれる。
507号線を北上して首里を目指す。
目的の斎場御嶽が見られなかったのは残念だが、車窓から沖縄南部の様子を概観できたのは良かった。
那覇や首里はむしろ人口が密集し過ぎの感があるが、那覇都市圏から外に出ると人口希薄だ。
農地が広がっているが、水田はほとんど見られない。
水掛かり(水利)が悪いのだろう。
サトウキビ畑も思ったより規模は小さく生産性が良くないことがわかる。
これではTPPで外国産の砂糖が安く入ってきたら、ひとたまりもないだろう。

昼食は、沖縄大衆料理の「あやぐ食堂」(那覇市首里久場川町)に連れて行ってもらう。
着いたのは13時半近かったが、15分ほど行列。
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やっと座敷に座れたけども、店内は満席状態。
家族連れが多く、みんなガンガン食べている。
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う~ん、何にしよう。だいたいは解るけど「中身」ってなんだろう?
あと「テビチ」って何だっけ?
わからないものを頼んでみる。
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中身汁定食。大盛りの汁に、ご飯、それに、まぐろのお刺身と揚げ出し豆腐が付いている。
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これが中身汁(なかみじる)。
中身とは豚の「中身」、つまり内臓のこと。
塩味で、内臓特有の臭いもほとんどなく、意外にさっぱりしている。
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こちらはテビチ(豚足の煮込み)。
お肉はとろけるように柔らかい(骨は多いが)。
野菜も味が染みておいしい。
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Hさんが注文したゆし豆腐。
ゆし豆腐とは、にがりを入れて固まりはじめた、型に入れる前のふわふわした豆腐。
早い話「おぼろ豆腐」みたいなもの。
Hさんは味噌味に変えていたが、本来は塩味らしい。
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おいしかったけども、やはり量が多い。
沖縄の人、少し食べ過ぎじゃないだろうか。
(続く)
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